日本文化的论文 日语
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2013-11-30
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第一节丁宁语の表现法 颜を见ただけで、中国人と日本人をうまく见分けられる人がほんとにいるだろうか。 男も女も同じような服装になって、とりわけ若い人になると男も女も背が高く大根足どころか女でも外股で歩くこの时代に、中国人と日本人の区别がはっきりつく人は少ないでしょう。 日本人の中には、谁が见てもこれは日本人だという风貌の人もいますが、中国人と全く区别のつかない颜立ちの人もたくさんいます。 同じ事が中国人についても言えます。 见るからに日本的な风貌の中国人もいれば、いかにも中国的な颜立ちの日本人も山ほどいます。 だが、それは颜を见た限りのことです。 その人に二言、三言、何か喋らせたら、たちまち何国人かはすぐにわかってしてしまいます。 なぜならアクセントと表现法が违うからです。 最初、日本も中国も同じ汉字を使用する国であるので、私は大きいな违いはないと思っていました。 しかし、実际日本に来てみると中国の场合は汉字の一つ一つに意味があり、その字を见るとどう言うことかすぐに判ります。 それに比べて日本の场合はそうではないものが多々あります。 ひらがな文字の意味についてはなかなかわかりにくく、特にカタカナ、それも外国语をカタカナで表现するものに至っては、全然何の法则もないので、私共にとっては一番难解な文字です。 しかし、これは考えようによっては日本人はよそからの色々な外来文化を自分流にカタカナに変えることでいつの间にか自分のものにしてしまうと言う日本独特の外来文化吸収法の一つとも言えるのでしょう。 この点が中国と大きく违うところでしょう。 中国にも丁宁语はありますが、中国の丁宁语には一定の法则があり覚えるのには别段苦労しません。 私が日本に来て一番最初に苦労したのは「お」を付ける言叶と付けない言叶の违いでした。 丁宁语(敬语)には「お」を付けなさいとまず教えられましたので、アルバイトをしている店でお客様に「お三阶へどうぞ」と言いましたところ、皆が笑い出しました。 私は二阶を他人が「お二阶」と言うので当然三阶もお三阶でいいと思いました。 そこで「お」を付ける场合と付けない场合を教えて贳いました。 「お野菜」「おねぎ」「おいも」「おなす」はありますが、「おほうれん草」「おかぼちゃ」「おトマト」「おキャベツ」「おもやし」とはいわない。 短い音节のものに「お」を付け、长いものには付けないのかと思うと必ずしもそうでなく、「おだいこん」という同じ根菜でも大根には「お」をつけるが、ニンジンやごぼうには付けない。 なんらかの法则があるのだろうと思い色々考えて见たが、ますますわからなくなりました。 海产物で言えば「お鱼」「お刺身」とは言うが「お鲷」「おマグロ」など个々の鱼に「お」を付けることはない。 调味料は「お醤油」「お味噌」「お酢」「お塩」「お砂糖」とは言うが「お胡椒」「お唐辛子」「おスパイス」とは言わない。 料理は「おにしめ」「おすまし」などは言うが「お茶わん蒸し」「お焼き物」とは言わない。「おそば」とは言うが「おラーメン」とは言わない。 このように法则性がまるでないため结局丸暗记で一つ一つ记忆するしかないと悟りました。 丁宁语の失败では「君」「きみ」という言叶であります。 中国语で「君」は相手を尊敬する言叶ですので「君」「君」と言われたので、わたしに気を遣って丁宁に言ってもらったんだと思い、お客さんに「君は何を食べますか」と言ったら店の主人から「何を言うのか」と注意され、また先の「お」を付けると丁宁と思っていたので、料理をお客さんの前に出すときに私は丁宁にと思って「お前にすみません」と言いましたらお客さんがふきだしビックリして私の颜を见ますので私も不思议な颜をして相手を见ました。 また、こんな事も経験しました。「すみません」または「ごめんなさい」もひとつの丁宁语なのだと言うことに気付きましたが、最初に言われたときはビックリしました。 よく日本人は「すみません」「ごめんなさい」と言います。 何でもないような时に相手が「ごめんなさい」と言います。 私はビックリして「えっ、この人はどんな悪いことを私にしたんだろう何?何?」とビックリして考え込んでしまいましたけれども、それは単なる挨拶のようなもので丁宁に言われたとの事でしたが、私には悪くないのにすぐ「すみません」とか「ごめんなさい」と言う言叶を出すことが理解できませんでした。 しばらくすると、そういう言叶は、私たちが日常生活をして行く上での一つの润滑油としてお互いがスムーズに生活して行く上の生活の知恵とも言うべき言叶なのだと分かりました。 あやまることは自分が悪いからであって、あやまれば赔偿间题がからんでくるので、欧米社会ではなかなかあやまらないのが通常ですが、日本の「ごめんなさい」「すみません」という丁宁语は自分を一歩下げてものを言うやり方でお互いの関系をより良くするのに役立っていると考えられます。 本当に日本の丁宁语は难しいと思います。第二节 ボカシの表现法 汉字が共通だと言っても、それを用いた表现のしかたは日本人と中国人では大きく违います。 中国人の大袈裟な表现の例として「白髪三千丈」がよくあげられます。 この李白の诗は、愁いの深さを表现するために白髪が三千丈にもなってしまったと言っているわけですが、日本にはこういう表现法があまりないようです。 しかし、日本语でも「暑くて死にそうだ」と言うような言い方もあるにはあるようです。 中国语にはこうした言い方が沢山あります。 「累死了」(ひどく疲れた)「高兴死了」(大変嬉しい)「急死了」(ひどくあせる)といったように。 これでは何回も死ななければなりません。 中国人はほめるときは天まで持ち上げますし、非难するとなると彻底的に悪口を言います。 どちらにしてもそれをそのまま受け取るようなことはありません。 日本の吊辞は中国人から见ると悲しみの気持ちがもうひとつこもっていないように思われますが、考えてみると中国の吊辞はあまりに美辞农句过ぎてこれもまた気持ちがこもっていないのかなと考えるようになりました。 中国人から见て违和感を感じるのは日本人の暧昧な「ボカシ表现法」です。 「结构です」といわれるのは「サンキュー」なのか「ノーサンキュー」なのか非常にわかりにくい。先日ある先生が讲义の中で「この说は正しい」といわれ、続いて「と言ってもいい」と付け加えられましたが、その次に先生は「のではなかろう」と言い、次に力强く「か」と言い添えられました。 そして最後に「と思われる」とさらに付け加えられました。 私は头の中が真っ白になって一体これは何なのだと、呆然としました。 「ボカシの表现法」では断言しない言い方が沢山出て来ます。 この断定しない言い方を好むのも日本人独特のものではないでしょうか。 例えば「あなたはどちらにお住いですか」との问いに「はい宫崎の方です」と答えます。 宫崎に住んでいるのに「宫崎の方に」と方角で答えます。 质问する方も「どこにお住いですか」と闻くべきなのに「どちらに」とはっきり言わない。 あるいは「コーヒーでも饮みませんか」という言い方も日本人にとってはごく普通の言い方です。 この「でも」を付けることによって言い方がたいへん柔らかくなると思います。 「コーヒーを饮みませんか」と言うと饮み物はコーヒーに限られてしまいますが「コーヒーでも」と言われると「红茶を饮んでもいいんだな」と言う具合に幅が出て来ます。 日本人の论文を読んでいますと「こうなのではなかろうか」とか「こうなんじゃないかと思われる」と言う文章がたいへん多く目に付きます。 欧米や中国ではこう言う方はあまりしません。 「こうだ」とはっきり言います。 このようにはっきり言わない「ボカシの表现法」が日本人には多くあります。 「游びに来てくださいね」日本人は心からそう思ってなくても平気で人をさそいます。 私ははじめて会って一寸话をしただけの人から「じゃあまた游びに来てね」と言われてビックリしました。 名前だけで住所も全然わかりませんし、また相手も自分の住所を说明しません。 「何だこれは?」と思いました。 しかし、これも「ごめんなさい」の発想と同じ挨拶程度の「ボカシの表现法」なのだと判りました。 同じように近所のおばさんに「こんにちは」と挨拶したら「どちらまで」と言われてビックリしました。 どうして私がそのおばさんに私の行くところを说明しなげればならないのだろうと不思议に思いましたが、これも日本人のくせで、挨拶がわりの「ボカシの表现法」で相手は别にこちらの行く先を本当に知りたいと思っている訳ではなく、こちらも「はい一寸とそこまで」と言っておけばいいのだと言う事を教えてもらいました。 このように日本人にとってお互いの生活がスムーズに流れるためにはこのような「ボカシの表现法」が大きな役に立っている事を勉强する事が出来ました。第三节 汉字と中国文化 いま日本ではカタカナ文化が氾滥していますが、これはいわば第二次の外来文化であって、第一次の外来文化は古代朝鲜を経由したか、あるいは直接に日本に渡ってきた中国文化でしょう。 早い话が毎日饮むお茶も中国が原产です。 中国南方では「茶」を「テ」と発音します。 これが南まわりでヨーロッパにいって「ティー」となったと勉强しました。 また、中国の北方では「チャ」と発音します。 これが北からロシアや中央アジアに渡り「チャイ」となりました。 そして日本はそのまま「チャ」「茶」になりました。 食品で「胡」がつくのは西域から中国を経由して日本に入って来たものです。 「胡椒」「胡麻」「胡瓜」などは皆そうです。 また、草花の名前で中国伝来のものは非常に多くあります。 桃、栗、柿、梅などはいうにおよばず、百日红、合歓などもそのまま同じ文字です。 目で见、手でさわれるものだけではない、精神の世界でも中国の文化は日本に大きな影响を与えていると思います。 「论语」「老子」「史记」など中国の古典の影响は大きなものがあると思います。 日本の元号の「平成」も史记のなかの五帝本纪に「内平らにして天成る」を参考にして作られたと闻いています。 中国の古典から出て、いまは日常语になっているものも沢山あるようです。 例えば「自己启発」の「启発」は「论语」の「启せずんば発せず」をちぢめたものです。 「完璧」や「四面楚歌」は「史纪」に出て来ます。 习惯のなかにも中国伝来のものは少なくありません。 「端午の节句」七夕、立春、冬至等々沢山あります。 汉字は日本のカナと违い文字自身一つの完成された文化ではないでしょうか。 一字一字の意味があり、その成り立ちにも理屈があります。 男と言う字は田の中で力一杯働く姿を表したものであり、「嫋」と言う字は弱々しそうな女が美しく见えるようを表现しています。 水の中で弱ってしまったのが「溺」で、日本人は更に弱る鱼に鰯(いわし)という字を作ってあてました。 このように、その一字一字に物や现象の本质をとらえて作られたものが汉字であり、それ自身完成度の高い文化であると考えます。 中国人は汉字のもつ文化を非常に高く评価していると思います。 中国人は何千年の歴史の中で自分达こそが世界の文明の中心に位置しているという「中华思想」を、私は意识はしませんが、受けついで来ているのではないでしょうか。 中国を歴史的に见れは、塞外から攻め込んでくる蛮族に缲り返し统治を受けながらも、それらをことごとく同化していった文化の歴史があるだけに、近代に至ってもいかに武力的に强力な相手であろうとも、自分达よりすぐれた文化の持ち主であるとはなかなか认めようとしないのです。第四节 汉字文化とカナ文化 汉字の国とカナの国の违いを前に汉字は一字一字に意味があり、その成りたちにも理屈があり、汉字はそれ自身一つの完成した文化を意味すると书きましたが、こうした文字の文化が日本にやってきて思想を表现する道具として日本语化しました。 しかし、汉字が入って来る前から日本にはすでにヤマト言叶がありましたが、それを记録する字がなかったそうです。 日本人は新しく入って来た汉字を略字化して、あ、い、う、え、お、と言うカナを作り出しました。 「あ」は安、「う」は宇、「え」は衣、「お」於とルーツははっきりしていますが、それぞれの字に特别の意味はないそうです。 カナはヤマト言叶を表现するための字として利用され、かつ汉字を読む时の音标文字として使われるようになったそうです。 本来の汉字は、呉音も汉音もすべて今日の日本语の発音とは异なるものであったようですが、日本人はそれらの発音をすべて五十一字のなかにおさめてしまったのだそうです。 どうしてそういうことができたかというと、ヤマト言叶のあいうえおは、日本人の音标文字であって、それ自身に意味がなかったからです。 日本人は汉字を思想表现の道具として受け入れたけれども、それはヤマト言叶の素地の上に新しい表现が加わっただけのことであって、日本语が中国语に置き换えられた訳ではありません。 だから日本人が自分达の师を中国文化から西洋文化に仱険Qえると日本语は英语でもドイツ语でもフランス语でも、ローマ字で表现される言叶を何の苦もなく取り入れる事が出来たのではないでしょうか。 たまたま、ひらがなのあとにカタカナが生まれ、新しい外来语はカタカナで表现されるようになったので、日本人はかつて汉字を自分达の新しい思想表现の道具として取り入れたように、新しい外来语を新しい思想や新しい生活感情を表现する道具として、何のためらいもなく取り入れるようになったのだと考えられます。 もともと音标文字にすぎないカタカナだから、どんな外国语もカタカナにあてはじめると日本语に変わってしまいました。 ただし日本语にない音をそのまま発音することは日本人には难しくて出来ません。 日本语で书き表わす事の出来ない、「T」とか、「L」とか、「R」とか、「Ⅴ」とかの音は、そのままでは日本语にならないので、日本语になった途端に本来の外国语とは似つかぬものにかわってしまいます。 私达が一番困るのがこのカタカナの外来语です。 特にカタカナとカタカナを日本语の接続词でつないだ新しい日本语は、日本语を学ぶ外国人にとっては栅穗y解な言叶です。 ただ歴史的に考えて见ると、日本语は汉字が入って来た大昔から、日本语は外来语を取り入れる事によって新しい言叶に次々と変化して来たのです。 ヤマト言叶がもともとそうした変化を可能とする构造の言叶だったようで、日本人のあらゆる事に対する対応のうまさにも繋がっているのではないかと思われます。 これに比べて汉字そのものは残念ながらそういう具合には出来ていません。 汉字の一字一字がすでに完成した意味をもっていて、しかも一つの音で成り立っていますので、変化の仕様がありません。 「ボー」、「ポー」、「モー」、「フォー」と言った音の分解はできますが、それを繋ぎ合わせて出来た文字を分解して别の意味に変える事は出来ません。 だから文字の一字一字を繋ぎ合わせて意味のある言叶にすることは出来ても、ローマ字やカタカナのような音标文字でありませんから、ドンドン语尾が変化して似ても似つかぬ言叶になってゆく事はありません。 従ってヨーロッパ诸国のように同じローマ字を使いながらドイツ语やフランス语や英语がお互いに通じない言叶に変わっていったのに対して、北京语と広东语や上海语は発音するとまるでチンプンカンプンの言语でありますが、字に书くと皆同じ字になるのは象形文字がそれ自体完成した构造になっていて、容易に壊す事の出来ない性质を持っているからでしょう。 またそれだからこそ、歴史上たびたびの分裂さわぎに见舞われながら、汉字があの大きな中国全体を统一へ戻す绊の役目をはたしたと见ることが出来ます。 汉字は象形文字であると同时に象徴文字でもあります。 例えば「贝」と言う字は贝壳の形が省略されて出来たものですが、贝壳をお金として使用した歴史があるので、お金を意味する「货」と言う文字が出来ました。 もともと贝と言う字にはお金と言う意味がありますから、お金を集める才能は「财」であり、お金と玉器を家の中に集めた物は「宝」であると言った具合に、现象や动作や思想や物の本质を字そのもので象徴しているのです。 そう言った意味ではよく考えて作られた文字ではありますが、汉字が作られた当时の人智をこえる新しい事象を说明しようとすると、字そのものが不充分であろうと思われます。 その点カナは汉字及び汉字文化を取り入れることもできれば、ローマ字及びローマ字文化を何の抵抗もなしに受け入れることもできました。 中国人はローマ字文化の内容をいちいち汉字になおさないと、现象そのものすら理解できないところがありますが、日本人は汉字にカナをふって受け入れたように、ローマ字にカナをふって受け入れることがいとも简単にできます。 とりわけ西洋文化を取り入れるにあたって制度だけではなく、それを表现する言叶にフリガナをして、そのまま取り入れることにほとんど何のためらいも感じないようです。 と言うわけで外国语の名词と名词を繋ぎ合わせるだけで新しい日本语になり、日本人同士で意思の伝达をするのに何の支障も感じないようになったようです。 もともとそういう具合に出来た言叶であり、また精神构造だから外国语文化にフリガナをすることによってあたらな文化を作ってゆくのが、日本文化であると言えるのかもしれません。
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你把中文写下来,我们才能帮你翻译!
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