“はず”、“べき”、“わけ”都是什么意思?怎么用?
”はずです”和“わけです”以及“べきです”的区别:
这三个句式中文有时都可译为““理应”,“照理”,“当然”,“应该”等,但具体用法有很大差异。
「べきだ」:
表示“应该”。其特点有:
只是动词的基本形+べきだ。这种“应该”带有主体个人的主张、建议,强调的动作具有某种“义务”。
例:今日のことは 君の间违いなのだから ちゃんと彼女に谢るべきだ。
例:学生にとっては まず 真面目に 勉强するべきだ。这个语法的否定形式是「べきではない」,而不可以用「--ないべきだ」的形式。
例:学生の前には そんなひどい话を话すべきではない。 而不可以用「话さないべきだ」的形式。「わけだ」:
对句中的事情、道理等,是不用推测,就能够明白的。这是“わけだ” 的特征之一。也表示“应该”。但在这个“应该”中,还含有“理所当然” “理应当”“当然--了”。强调:某事的成立是“理所当然”的。或者说, 根据前项的事实,在后项作出“理所当然”的结论。注意:这是一个对客观事物的判断或下结论。
例:この问题は 小学生でも わかるのだから 大学生の君は すぐできるわけだ。
例:北海道では 12月になると 雪が降るわけだ。还有表示恍然大悟、怪不得---的含意。
例:「山田さんは このごろ 病気で 入院したそうだよ。」
「そうか。それで ずっと见えないわけですね。」
在这句里就是“是吗?怪不得一直没有能见到他啊。”「はずだ」:
也可以表示“应该”。但是,在这“应该”里,强调主体本人的推测、估计等主观意见。所以,这是个“主观”的语法。也就是说,在这种句子的后项,可以用意志性的动词结句的。区别于「わけだ」。
例:彼女は 今晩 パーティーの司会だから きっと来るはずだよ。
例:会议の通知は もう 电话で 知らせたのだから 明日出席するはずだと思った。
这个词语强调的是,主体自己的推测、估计。
这三个句式中文有时都可译为““理应”,“照理”,“当然”,“应该”等,但具体用法有很大差异。
“はずです”表示有依据的推测,判断。如,王さんはもう日本语を三年ぐらい勉强しているから日本语が话せるはずです。(判断小王会说日语,因为知道他已学了三年日语这个依据,但其实还没真正听他说过。所有事实真正是否会讲也不一定。中文可译为“理应”,“照理”等)
如果听到小王在和日本人用日语交谈,并知道他已学了三年日语。你可说:王さんはもう三年ぐらい日本语を勉强したからそんなに日本人と日本语で交流できたわけです。(“わけです”是基于客观依据,对事实作出的解释说明。中文可译为“怪不得”,“当然”等。)
而“べきです”是从一般道理上,情理角度上来下结论,说出看法,指出“理应这样,照理如此”。但对具体行为上并非有约束性。有点像口头上说说而已,如同“道德法庭”上的要求,不起制约作用。如:学生は勉强すべきだ。(学生应该要学习)/ 若者が年寄りを尊敬すべきです。(年轻人应该要尊重老年人)
因而对法律上强制的行为就不可使用“べきだ”,如:外国へ行く场合 パスポートを持たなければならない。(去外国必须要带护照),这句用“べきだ”就错了。
简而言之,“はずです”是用于对事物有依据的判断推测;“わけです”是对既成事实的说明解释;而“べきです”是从道德情理角度谈自己的看法。