来10篇日语作文 初级的
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题目不限的话,我随便给喽!
1,私の梦
私には、梦があります。それは、大きくなったらエジプト考古学者になるということです。2年生の时からの梦です。
でも、そのためには、お金がかかると思います。大好きなエジプトに行くのには、沢山のお金が必要です。家は、そんなにお金持ちではありません。兄弟4人いるので、おこづかいをもらえるのは、高校生のお兄ちゃんだけです。
毎年もらうお年玉は、使いたい金がくをお母さんに言って、残りは、贮金しています。それでも、なかなかお金はたまりません。
そこで、私はエジプトに行きたいと思った时から、贮金をしています。お年玉をあずけた时にもらった贮金箱にためています。お母さんから决まったおこづかいは、まだもらっていません。
だから、いろいろ工夫してお金をためています。空きビンを売ったり、おじいちゃんのお使いをしておだちんをもらったり、お兄ちゃんからおこづかいをもらってそれをためたりしています。
1番多いのは、空きビンを集めて売ったお金です。おじいちゃんやお父さんからもらったり、亲せきのおじさんやおばさんの家にもらいに行ったりして集めています。それを、酒屋に持って行って买ってもらいます。一升ビンは、1本10円です。三合ビンは、1本5円です。
ビンを运ぶのは、沢山たまった时なので、一ぺんには运べません。だから、何回も何回も酒屋と家を行ったり来たりします。全部运び终わるころには、もうくたくたです。店先にあるアイスがほしくなったこともあります。その时は、がまんしました。
つかれるけれど、お金をもらった时は、とってもうれしいです。
2年生から今まで一つの贮金箱にためています。初めのころは、
「もう、たまったかな」
と思って、贮金箱をふると、ジャラジャラと鸣りました。でも、今年になって、鸣らなくなりました。その後もためて、ついには、贮金箱に入らなくなりました。
そこで、邮便局にあずけようと思って、いよいよ贮金箱を开けました。そして、お金を数えてみました。なんと3,062円もありました。私の予想では、多くても、1,500円くらいと思ってたのに、その倍以上もあったし、高校生のお兄ちゃんの1ヶ月のおこづかいよりも多かったのでびっくりしました。とってもうれしかったです。
コツコツためたら、こんなにたまりました。エジプト行きには、まだまだだけど、また、コツコツためて、がんばろうと思います。
ほしい物をがまんしたり、なんぎなことをしたりして梦はかなうと信じています。また、いろいろな人にお世话になると思います。
私も、梦がかなうように、これからも、お金と人を大事にしていきます。
2,「一生悬命得たお金の大切さ」
私はこの前、お母さんに言われて会费集めの手伝いをしました。今年からお母さんは、ある福祉団体の地区担当になったので、私も月に1回、広报を配る仕事を手伝ったりしていました。
「広报配りと会费集めと一绪にやらなきゃダメだから、华菜子も手伝ってくれない?」とお母さんに言われた时、私は简単な事だと思って、軽く「いいよ」と返事をしました。全部で25轩の家をまわる事になりました。
町内会费など、决められたものを集めるのとは违って、その活动の内容に纳得して、会员になってくれた人の家をまわります。1口300円。2口の人もいれば、10口の人もいたり……とそれぞれでした。
2轩、3轩とまわるうちに、「手伝うなんて简単に言わなきゃよかった」と後悔の気持ちが出てきました。
「ご苦労様」とか「お姉ちゃんも手伝っているの? えらいねぇ」と言ってくれる人もいて、そういう时はほっとしたけれど、「この前集めたばかりでしょ」「もうやめたいんだけど……」という声もありました。そのたびにお母さんは、何回も说明したり、时々あやまったりしていました。
私は正直、「自分の事でもないのにあんなに头下げて、お母さんがかわいそう」とか、「300円くらいならすぐ出してくれても」と、思ったりしました。
でもお母さんは、「仕方ないよ。これはほとんど寄付してもらってるような物だから。お金の额に関系なく、自分达が出したお金がきちんと使われているのか…って思うの当り前だものさ」と言いました。お金を集めるって大変だなぁーと思いました。
お母さんは、お父さんを通じて(お父さんの仕事と関系しているので)「もっと会员さんに理解してもらえるような方法はないの?」と伝えたようです。
一生悬命働いてもらったお金は、けっしてムダにはできない。会员の人达も、自分たちの会费をしっかり意义のあることに使って欲しい、という思いからなんだろうと思います。
私も、月に700円のおこづかいをもらっています。これは、お父さんが一生悬命働いた给料の中からもらっているお金。本当に欲しい物かどうか考えながら使いたいと思います。そして「たった300円くらいなのに……」と思った自分がはずかしくなりました。
お金は大切なものということを、あらためて感じました。大変だったけど、お母さんのお手伝いをしてよかったと思いました。
3,「私の父」
「お金、持ってるか。游びに行くなら持っとった方がいい」
私が友达と出かける时、祭りに行くとき、父はそう言って私の手の平に千円札をのせてくれる。そんな时私は、
「ほんとお父さん、娘には甘いんだから……」などと、子供ながらに思う。
なぜなら父は、自分の事ではほとんどお金を使わないから。例として挙げるなら、父が毎日履いている草履。底が外れればボンドで付け、ひもが切れれば糸で缝い、灭多に新しい草履を买おうとはしない。また、何十年も前の服でもとっていて、いまだに着る。それはもう、古びて穴が空いていたりもするけれど、父は一向に格好を気にする様子はない。父の节约ぶりを挙げると、きりがない程だ。
けれど、父に対して私达姉妹は、そんな格好では耻ずかしいから、参観日に来て欲しくないと言ったり、一绪に出かけても、少し离れて歩いたり……。他人の目ばかりを気にして、父のことなど考えもしなかった私达。けっこう伤付けてしまったかもしれない。その时は、父の优しさも知らずに。
この前母が、こっそりないしょ话でもするように、教えてくれたのだ。
「お父さんね、いろいろ欲しい物あるけど我慢してるとよ。うちお金ないからねぇ、でもあんた达に大学ぐらいは行かせたいって」
この言叶を闻いた时、私の心は、ハンマーでドカンと殴られたような强い冲撃を受けた。普段は无口で何も言わない父の、温かさが心にしみたから。それと同时に、自分の今までの行动が、耻ずかしかった。
考えてみると、我が家に在る物の大部分に、父の手が加えられている。いや、父が命を与えたのだ。父は舍ててあったものや、壊れていたのでもらった物に、命の息を吹きかける。そう修理するのだ。时计、自転车、洗濯机、オーブントースターなど。
また元気に动き出した物を前に、父は言う。
「どうだ。俺の手にかかれば、舍てるモノなんてないね」
と、目を少し细めながら。
こんな环境であたりまえに育った私。おかげで口癖が『もったいない』になっていた。けれど仕方ない。なにしろ私は、父の子供。この口癖は、当分直らないだろう。
そして私は今、父を夸りに思う。どんな格好も関系ない。何でも修理して、物に命をふき返らせる、そんなお父さんどこにだっていないと思うから。私の家で生活している、たくさんの时を生きてきた物。それらであふれている家。私は大好きだ。
我が家に深く深く刻み付けてある、メッセージ。それは、
『古くても壊れても、直して大事に使う』ということ。今も耳を倾ければ、生き返った物达の笑い声が、聴こえてきそうだ。
4,物を大切にするということ
初めてもつ、长期间に渡って使う物といえば、ほとんどの人にとってはランドセルではないだろうか。人によって、その扱いは様々である。私の场合、ランドセルの扱いを通して大きなことを学んだように思う。それは何だったのか、今1度考えてみたい。
小学1年生、私は念愿のランドセルを手に入れた。それは、祖父が入学祝いに买ってくれたものだったが、実をいうと、入学当时の私はあまりそのランドセルが好きではなかった。お姉ちゃんのみたいにカバーが柔らかくなかったし、色もお姉ちゃんのとは感じの违う赤だったからだ。见惯れたお姉ちゃんのランドセルは私の憧れだったのに、それとはまた违うものだったから少しがっかりしてしまったのかもしれない。
それでも、「あなたのものなのだから」と母に言われて、月に1度程度ランドセルを磨くようになり、続けるうちに言われなくても磨くようになった。ついにはその日についた伤を点検するようにさえなった。
3年生の顷にはもう、自分のランドセルが谁のよりもいいと思うようになっていた。侧面につけられたフック、アトムと书かれた银色の金具、内侧の布の模様に背中のカーブ具合…いつしか全てに爱着を覚えるようになっていた。
そんな时、学校ではランドセルではなくリュックで登下校する人がでてきた。リュックの方がかっこいい。そう思いはしたものの、自分はどうしようかと迷うことはなかった。というのも、あることに気付くようになっていたからだ。
いつまでも続くような気がしていた小学校生活もすでに半分以上が过ぎていた时、こんなことをふと考えた。小学校を卒业したら、もうランドセルを使うことはない。毎日重い物を入れて駆使してきたと考えればよく使った感じがする。が、しかし使える用途、时间には限りがあるのだ。
それに気付いてからは、今まで思いもしなかったことが当然のことのように头に居座るようになった。「せめて使える间は使わなきゃ」私は、6年间ランドセルを使い通すことを决めた。
小学校を卒业して3年、この体験を振り返ってみると「大切にしなきゃ」って思うだけでは、大切にすることはできないことに気付く。大切にして、それに爱情をもってこそ、本当に大切にできるのではないだろうか。
普通に考えて、使うことが大切にすることだとは思えない。でも、私はランドセルをギリギリまで使って大切にした。どんなことが大切にするということなのか。それは物によるし、人それぞれだ。だけど、「大切」に共通しているべきもの、それは「爱情」だ。
ランドセルから学んだことはやはり大きかった。それは今も私の中で生きているし、これからも、存続させていきたい。
5,ひと夏の経験
今年の夏、自分は「フリーマーケット」を开いた。フリーマーケットというものは、いらなくなったものを相手に譲ったり、売ったりする场所だ。自分は、「雑货」「本」「CD」「TVゲーム」「おもちゃ」など、自分がもう使用しない物を家中のあらゆる所から集めた。
お客さんもたくさん来て、いろいろな物を买っていってくれるのでとてもうれしかった。
しかし、売れれば売れるほどわびしいような、空しい感じになっていた。その理由は、自分が今まで爱用してきた物を手放してしまうのだからだろうと思った。
その空しさも惯れてきたころに、あるお客さんがきた。そのお客さんは、つえをついていて、颜にはたくさんのしわがよっていて、自分から见るとおじいさんというような感じだった。自分は、このおじいさんに大切なことを教えてもらった。
それは、おじいさんが自分の商品を见て、「これはいくら?」とCDを持って言った。自分は、「500円です」ときっぱり答えた。おじいさんは「ちょっと高いなぁ~」と答えた。その时自分は、このCDは闻きあきていたのでどうしても売りたいと思っていた。
「じゃあ、400円…いや、300円でいいです」
と自分は言った。すると、おじいさんは「まだ、高いなぁ100円になりません?」と闻いた。自分は、売りたいと思うままに、「いいですよ」と答えた。
だが、おじいさんは「だめですよ」と言った。自分には、何が何だか分からなかった。
「简単に安くしちゃだめですよ。そのCDは君のご両亲が生活のために稼いだお金を、君に少しだけあげて、そのお金で君はこのCDを买ったわけなんだから、もっとこのCDのお金以上の価値を、大切にしなきゃ。だから、他の出店者の人も间违っているんですよ。けど、私は売るなとはいいません。もう少し物の価値というものを知ってほしいんです」
间违っていた自分が耻ずかしくて、その後、おじいさんが言っていた言叶を头の中で、読み回していた。
周りのお店から闻こえてくる、「安くしますよ。买ってって下さい」という言叶を闻くと、今の自分达には、物の大切さや、お金のありがたさがまだ理解できていないんだなと思った。
今年の夏は、ひとつの物の大きな大きな価値、ひとつのお金の大きな大きな大切さを教えてくれた。これからの自分、物の価値やお金の価値を大切にしたい。
6,ズックの穴につまっているもの
ぼくの体操服の长ズボンは、つぎはぎだらけです。ぼくが穴を开けてくると、祖母は、小さくなった体操ズボンの生地を出して来て、つぎはぎをしてくれるのです。そして必ず、
「きたないけれど、きれいにできた」
と言って、ぼくにじまんそうに见せます。
先日、また大きな穴を开けてしまい、母が、
「そろそろ、新しいのを买おうか」
と言った时も、祖母はつぎはぎをして、
「こんなに大きくても、全然目立たんよ」
と、つぎはぎだらけのズボンを见せました。妹が大声で笑い出したので、ぼくや母だけでなく、祖母も大笑いしてしまいました。
でも、家に学校の内ズックを持って帰って来た时のことです。母は、ぼくのズックに、八つも大小の穴が开いているのを见て、
「こんなボロボロのズックはいていたの」
とぼくに言いました。妹もよって来て、
「ワァー、いっぱい、穴が开いている」
と惊きました。
ぼくは、
「だって学校から持って帰ってくると、あばあちゃんが洗ってくれるんや。せっかく洗ってくれたのに、すてるなんて言えん」
と、ちょっと怒りながら言いました。
すると母が、舍てかけたズックをもう1度见て、
「せっかくおばあちゃんが、洗ってくれたんだもんね。じゃあ、この次から新しいのにしよう。でも、はずかしくないの」
と闻きました。もちろん、ぼくは、
「全然はずかしくない」
と答えました。
はずかしいなんてぜいたくだと思いました。昨年、毎日のようにアフガニスタンでの戦争のニュースをテレビで见ていたからです。
平和や家族を失った人、けがをして困っている人、武器を持って戦争の准备をする子供达がいました。戦争から逃げてきた人达は、家はもちろん、食べ物も水もないうえに、寒さをしのぐ服もありません。もしお金をもって逃げて来たとしても、买う物がないのです。
そして祖母も、子供の顷に、戦争で家の近くにばくだんを落とされ、福井地震の大火事にもあいました。2度も家をなくし、食べ物もお金もなく、とても困ったのだそうです。
今、ぼくの家の近くには、ショッピングセンターやたくさんのスーパーなどがあり、欲しい物がいつでも简単に买えます。しかしそれは、平和な社会があるからこそ成り立つシステムなのだと、祖父が教えてくれました。ぼくは、祖母が物を大切にするのは、平和に感谢し、平和な日が続くように、望んでいるからのような気がしました。
ぼくのズックの穴は、毎日元気にたくさんの友达といっぱい游んだしょうこです。そして祖母が、いっしょうけんめいズックを洗ってくれたおかげです。ぼくにとってこのズックは、はくだけで元気のでる、どこでも买うことのできない、魔法のズックなのです。
7,大切に使うね
「今日の夕食、おいしいね」
「みんなうちでとれた野菜よ。买ったのは、これだけ」
母は、自まんげに言う。でも、その後に必ず、
「お父さんが、いっぱい野菜を作ってくれるおかげよね」
と、続ける。私たちも、
「うんうん」
と、うなずいて笑います。父も笑います。
私の家は、庭で野菜を作っています。野菜は、ほとんど买うことはありません。でも、そのために父も母も、暑い夏には炎天下に汗をかきながら、寒い冬には手をかじかませて、どろだらけになって畑仕事をします。
だから、私たちはそんな野菜をとても大事に食べます。
でも、この前、父母がいっしょうけんめい育てた野菜を市场に出しに行った时、私はびっくりしました。大きな大根が1本5円、白菜が1玉8円だったのです。市场について行った私はすごくショックでした。
帰り道、私は母に言いました。
「くやしいね、ばかみたい」
「肥料代になったらいいんよ」
と、笑う母もさみしそうでした。
私は、初めてお金を得ることの大切さを知りました。今まで、おこづかいを当たり前のようにもらっていました。おこづかい以外にも、祖母のお手伝いをすると300円、500円をもらっていました。でも、その300円は、野菜をたくさんたくさん売らなければ得られない金额だったのです。
母が、食事の时、
「买ったのはこれだけ」
と、自まんする本当のわけもやっと分かりました。母は、毎日がんばって働いてくれている父に感谢しているからこそけん约していたんだ。
私は、今までお金の大切さなど一度も考えたことはありませんでした。祭りの时や、デパートに行った时なんか结构パラパラ使っていました。私は、そのことを思い出してすごく反省しました。
「私、もう无だづかいせんからね」
その夜、父に言いました。父は笑っています。母も祖母もうれしそうでした。
父がいっしょうけんめい働いたお金も、祖母がくれるおこづかいも、これからは大切にしなくてはいけないと思いました。
くやしい思いをしたけれど、市场について行って本当によかったです。
お父さん、お母さん、おばあちゃん、お金の大切さを教えてくれてありがとう。
8,お・か・ね
私が小さな顷、买い物に付いて行っては、一つだけという约束で、おまけ付き100円・200円のおかしをよく买っていました。1ヶ月3,000円程にもなっていることに気付いた母は、突然年长の私に1,000円のおこづかいをくれました。
びっくりしたのとうれしさで、サイフに1,000円を入れて、いつものように母と买い物に出かけました。一日(ついたち)にもらったおこづかいは、5日程でなくなりました。次の月の一日まで、悲しい思いをしたことを覚えています。そこでお金の使い方を知らされました。
小学生になると1,000円が少しずつ残るようになってきました。残ったお金を毎月邮便局にジャラジャラいわせながら、持って行きました。
4年生になると、おこづかいは1,500円になりました。けれど、1,000円の时とは変わらず计画的に使い贮金をなるべく増やすようにしました。値段が高いものは、上手にためて买うこともできるようになりました。
今では、中学生になりおこづかいは3,000千円になりました。学用品その他すべて3,000円の中からです。今は少し余裕もあり目的を持ってお金を上手にためています。
私の母は、诞生日にほしい物を闻くと、
「お金で买えない世界に一つしかない物」
を要求してきます。私は家にあるものを材料にしてペン立てを作ったり时には料理を作ったりします。そんなプレゼントを母はとても喜んでくれます。
昨年の10月、私を小さい顷から大切にしてくれ、中学校入学を一番楽しみにしてくれていたヤスエさんが交通事故でなくなりました。青信号で横断歩道を渡っていたのに、ご主人に诞生日プレゼントを买いに行った帰りの事故でした。残された家族に戻ってきた物は、ヤスエさんではなくて、保険会社から支払われたお金だったと闻きました。
ヤスエさんの家族に支払われたお金と、私が毎月おこづかいとしてもらっているお金には、大きな违いを感じます。私のお金は、毎日家族のために働いた父が、给料日に持ち帰ったお金を、楽しみに待っておこづかいとしてもらった笑ったお札。ヤスエさんの家族のお金は命という一番大切なものとの引き替えにしかたなく受け取らされたくやしいお札。
ヤスエさんは私に世界に一つしかない洋服やバッグを作ってくれました。料理の天才だったヤスエさんと、今の季节には、しそジュースを饮んでいました。
ヤスエさんの死は、私にお金の価値というものを教えてくれました。また、お金がすべて人の心を豊かにしてくれるものではないということも知りました。
命の大切さ、健康であることの大切さを感じます。私は、今この幸せに感谢し、生きていくために必要なお金と上手に付き合える大人になりたいです。
9,ものやおかねのたいせつさ
わたしは、2年生になってから、おかあさんに「まゆは、ものをたいせつにしないね。なにかほしいときは、すぐぐずってかってもらおうとしているけど、ものをかうには、おとうさん、おかあさんがどんなおもいでまいにち、はたらいて、おかねをかせいでいるのかわかるの。それを、あっというまにつかいあきたら、もうひつようないというのは、いけない。おかねのありがたさ、おかねをかせぐためのどりょくをしてみなさい」とちゅういされました。
わたしは、いえのてつだいをしておかねを、ためてみようとおもいました。
うわぐつあらい。げんかんそうじ。せんたくほし。へやのかたづけ。ちゃわんあらい。おふろそうじ。ねこのエサあげ。
やすみの日にこんなにたくさんおてつだいをしました。おかあさんがひとつひとつかくにんして、「よくできたね。はい。おだちん」そういってわたしの手にくれたのは10えんでした。
わたしは「うそでしょ」そういってしまいました。
おかあさんは「あたりまえでしょう。そんなかんたんにおかねがたくさんもらえるとおもったの? だからおとなは大へんなんだよ。まいにちまいにち大へんなおもいをして、はたらいているの。ちょきんばこいっぱいになるまでがんばりなさい。いっぱいのちょきんばこになったら、まゆのすきなもの自分のおかねでかいなさい」そうつめたくいわれました。
こんなにがんばったのに。そうおもったけど、ほしいものがあるからちょきんばこいっぱいになるまで、がんばろうとおもった。
でもいつもおなじ。いっぱいおてつだいするのにいつもおかあさんは、10えんしかくれません。ときどきかなしくなります。
こんなにおてつだいしたのに。おかねをかせぐのってほんとうにたいへんで、そのおかねで、ものやたべものをかうのってほんとうにすごいことなんだと、いまになっておもってきました。
そう考えると、ティッシュのつかいすぎや、あきたからってえんぴつやけしゴムをとちゅうでかえてしまうのは、いけないことなんだとおもった。いっそくしかかってくれない、くつやうわぐつを、あらってつかうのもおかあさんがケチなんじゃなくものをたいせつにしているのかとおもった。
わたしのちょきんばこの10えんだまは、まだまだいっぱいになりません。もうさんかげつもたったのに。
字数超了发不了10篇。。。。。。
希望对你有帮助。
1,私の梦
私には、梦があります。それは、大きくなったらエジプト考古学者になるということです。2年生の时からの梦です。
でも、そのためには、お金がかかると思います。大好きなエジプトに行くのには、沢山のお金が必要です。家は、そんなにお金持ちではありません。兄弟4人いるので、おこづかいをもらえるのは、高校生のお兄ちゃんだけです。
毎年もらうお年玉は、使いたい金がくをお母さんに言って、残りは、贮金しています。それでも、なかなかお金はたまりません。
そこで、私はエジプトに行きたいと思った时から、贮金をしています。お年玉をあずけた时にもらった贮金箱にためています。お母さんから决まったおこづかいは、まだもらっていません。
だから、いろいろ工夫してお金をためています。空きビンを売ったり、おじいちゃんのお使いをしておだちんをもらったり、お兄ちゃんからおこづかいをもらってそれをためたりしています。
1番多いのは、空きビンを集めて売ったお金です。おじいちゃんやお父さんからもらったり、亲せきのおじさんやおばさんの家にもらいに行ったりして集めています。それを、酒屋に持って行って买ってもらいます。一升ビンは、1本10円です。三合ビンは、1本5円です。
ビンを运ぶのは、沢山たまった时なので、一ぺんには运べません。だから、何回も何回も酒屋と家を行ったり来たりします。全部运び终わるころには、もうくたくたです。店先にあるアイスがほしくなったこともあります。その时は、がまんしました。
つかれるけれど、お金をもらった时は、とってもうれしいです。
2年生から今まで一つの贮金箱にためています。初めのころは、
「もう、たまったかな」
と思って、贮金箱をふると、ジャラジャラと鸣りました。でも、今年になって、鸣らなくなりました。その後もためて、ついには、贮金箱に入らなくなりました。
そこで、邮便局にあずけようと思って、いよいよ贮金箱を开けました。そして、お金を数えてみました。なんと3,062円もありました。私の予想では、多くても、1,500円くらいと思ってたのに、その倍以上もあったし、高校生のお兄ちゃんの1ヶ月のおこづかいよりも多かったのでびっくりしました。とってもうれしかったです。
コツコツためたら、こんなにたまりました。エジプト行きには、まだまだだけど、また、コツコツためて、がんばろうと思います。
ほしい物をがまんしたり、なんぎなことをしたりして梦はかなうと信じています。また、いろいろな人にお世话になると思います。
私も、梦がかなうように、これからも、お金と人を大事にしていきます。
2,「一生悬命得たお金の大切さ」
私はこの前、お母さんに言われて会费集めの手伝いをしました。今年からお母さんは、ある福祉団体の地区担当になったので、私も月に1回、広报を配る仕事を手伝ったりしていました。
「広报配りと会费集めと一绪にやらなきゃダメだから、华菜子も手伝ってくれない?」とお母さんに言われた时、私は简単な事だと思って、軽く「いいよ」と返事をしました。全部で25轩の家をまわる事になりました。
町内会费など、决められたものを集めるのとは违って、その活动の内容に纳得して、会员になってくれた人の家をまわります。1口300円。2口の人もいれば、10口の人もいたり……とそれぞれでした。
2轩、3轩とまわるうちに、「手伝うなんて简単に言わなきゃよかった」と後悔の気持ちが出てきました。
「ご苦労様」とか「お姉ちゃんも手伝っているの? えらいねぇ」と言ってくれる人もいて、そういう时はほっとしたけれど、「この前集めたばかりでしょ」「もうやめたいんだけど……」という声もありました。そのたびにお母さんは、何回も说明したり、时々あやまったりしていました。
私は正直、「自分の事でもないのにあんなに头下げて、お母さんがかわいそう」とか、「300円くらいならすぐ出してくれても」と、思ったりしました。
でもお母さんは、「仕方ないよ。これはほとんど寄付してもらってるような物だから。お金の额に関系なく、自分达が出したお金がきちんと使われているのか…って思うの当り前だものさ」と言いました。お金を集めるって大変だなぁーと思いました。
お母さんは、お父さんを通じて(お父さんの仕事と関系しているので)「もっと会员さんに理解してもらえるような方法はないの?」と伝えたようです。
一生悬命働いてもらったお金は、けっしてムダにはできない。会员の人达も、自分たちの会费をしっかり意义のあることに使って欲しい、という思いからなんだろうと思います。
私も、月に700円のおこづかいをもらっています。これは、お父さんが一生悬命働いた给料の中からもらっているお金。本当に欲しい物かどうか考えながら使いたいと思います。そして「たった300円くらいなのに……」と思った自分がはずかしくなりました。
お金は大切なものということを、あらためて感じました。大変だったけど、お母さんのお手伝いをしてよかったと思いました。
3,「私の父」
「お金、持ってるか。游びに行くなら持っとった方がいい」
私が友达と出かける时、祭りに行くとき、父はそう言って私の手の平に千円札をのせてくれる。そんな时私は、
「ほんとお父さん、娘には甘いんだから……」などと、子供ながらに思う。
なぜなら父は、自分の事ではほとんどお金を使わないから。例として挙げるなら、父が毎日履いている草履。底が外れればボンドで付け、ひもが切れれば糸で缝い、灭多に新しい草履を买おうとはしない。また、何十年も前の服でもとっていて、いまだに着る。それはもう、古びて穴が空いていたりもするけれど、父は一向に格好を気にする様子はない。父の节约ぶりを挙げると、きりがない程だ。
けれど、父に対して私达姉妹は、そんな格好では耻ずかしいから、参観日に来て欲しくないと言ったり、一绪に出かけても、少し离れて歩いたり……。他人の目ばかりを気にして、父のことなど考えもしなかった私达。けっこう伤付けてしまったかもしれない。その时は、父の优しさも知らずに。
この前母が、こっそりないしょ话でもするように、教えてくれたのだ。
「お父さんね、いろいろ欲しい物あるけど我慢してるとよ。うちお金ないからねぇ、でもあんた达に大学ぐらいは行かせたいって」
この言叶を闻いた时、私の心は、ハンマーでドカンと殴られたような强い冲撃を受けた。普段は无口で何も言わない父の、温かさが心にしみたから。それと同时に、自分の今までの行动が、耻ずかしかった。
考えてみると、我が家に在る物の大部分に、父の手が加えられている。いや、父が命を与えたのだ。父は舍ててあったものや、壊れていたのでもらった物に、命の息を吹きかける。そう修理するのだ。时计、自転车、洗濯机、オーブントースターなど。
また元気に动き出した物を前に、父は言う。
「どうだ。俺の手にかかれば、舍てるモノなんてないね」
と、目を少し细めながら。
こんな环境であたりまえに育った私。おかげで口癖が『もったいない』になっていた。けれど仕方ない。なにしろ私は、父の子供。この口癖は、当分直らないだろう。
そして私は今、父を夸りに思う。どんな格好も関系ない。何でも修理して、物に命をふき返らせる、そんなお父さんどこにだっていないと思うから。私の家で生活している、たくさんの时を生きてきた物。それらであふれている家。私は大好きだ。
我が家に深く深く刻み付けてある、メッセージ。それは、
『古くても壊れても、直して大事に使う』ということ。今も耳を倾ければ、生き返った物达の笑い声が、聴こえてきそうだ。
4,物を大切にするということ
初めてもつ、长期间に渡って使う物といえば、ほとんどの人にとってはランドセルではないだろうか。人によって、その扱いは様々である。私の场合、ランドセルの扱いを通して大きなことを学んだように思う。それは何だったのか、今1度考えてみたい。
小学1年生、私は念愿のランドセルを手に入れた。それは、祖父が入学祝いに买ってくれたものだったが、実をいうと、入学当时の私はあまりそのランドセルが好きではなかった。お姉ちゃんのみたいにカバーが柔らかくなかったし、色もお姉ちゃんのとは感じの违う赤だったからだ。见惯れたお姉ちゃんのランドセルは私の憧れだったのに、それとはまた违うものだったから少しがっかりしてしまったのかもしれない。
それでも、「あなたのものなのだから」と母に言われて、月に1度程度ランドセルを磨くようになり、続けるうちに言われなくても磨くようになった。ついにはその日についた伤を点検するようにさえなった。
3年生の顷にはもう、自分のランドセルが谁のよりもいいと思うようになっていた。侧面につけられたフック、アトムと书かれた银色の金具、内侧の布の模様に背中のカーブ具合…いつしか全てに爱着を覚えるようになっていた。
そんな时、学校ではランドセルではなくリュックで登下校する人がでてきた。リュックの方がかっこいい。そう思いはしたものの、自分はどうしようかと迷うことはなかった。というのも、あることに気付くようになっていたからだ。
いつまでも続くような気がしていた小学校生活もすでに半分以上が过ぎていた时、こんなことをふと考えた。小学校を卒业したら、もうランドセルを使うことはない。毎日重い物を入れて駆使してきたと考えればよく使った感じがする。が、しかし使える用途、时间には限りがあるのだ。
それに気付いてからは、今まで思いもしなかったことが当然のことのように头に居座るようになった。「せめて使える间は使わなきゃ」私は、6年间ランドセルを使い通すことを决めた。
小学校を卒业して3年、この体験を振り返ってみると「大切にしなきゃ」って思うだけでは、大切にすることはできないことに気付く。大切にして、それに爱情をもってこそ、本当に大切にできるのではないだろうか。
普通に考えて、使うことが大切にすることだとは思えない。でも、私はランドセルをギリギリまで使って大切にした。どんなことが大切にするということなのか。それは物によるし、人それぞれだ。だけど、「大切」に共通しているべきもの、それは「爱情」だ。
ランドセルから学んだことはやはり大きかった。それは今も私の中で生きているし、これからも、存続させていきたい。
5,ひと夏の経験
今年の夏、自分は「フリーマーケット」を开いた。フリーマーケットというものは、いらなくなったものを相手に譲ったり、売ったりする场所だ。自分は、「雑货」「本」「CD」「TVゲーム」「おもちゃ」など、自分がもう使用しない物を家中のあらゆる所から集めた。
お客さんもたくさん来て、いろいろな物を买っていってくれるのでとてもうれしかった。
しかし、売れれば売れるほどわびしいような、空しい感じになっていた。その理由は、自分が今まで爱用してきた物を手放してしまうのだからだろうと思った。
その空しさも惯れてきたころに、あるお客さんがきた。そのお客さんは、つえをついていて、颜にはたくさんのしわがよっていて、自分から见るとおじいさんというような感じだった。自分は、このおじいさんに大切なことを教えてもらった。
それは、おじいさんが自分の商品を见て、「これはいくら?」とCDを持って言った。自分は、「500円です」ときっぱり答えた。おじいさんは「ちょっと高いなぁ~」と答えた。その时自分は、このCDは闻きあきていたのでどうしても売りたいと思っていた。
「じゃあ、400円…いや、300円でいいです」
と自分は言った。すると、おじいさんは「まだ、高いなぁ100円になりません?」と闻いた。自分は、売りたいと思うままに、「いいですよ」と答えた。
だが、おじいさんは「だめですよ」と言った。自分には、何が何だか分からなかった。
「简単に安くしちゃだめですよ。そのCDは君のご両亲が生活のために稼いだお金を、君に少しだけあげて、そのお金で君はこのCDを买ったわけなんだから、もっとこのCDのお金以上の価値を、大切にしなきゃ。だから、他の出店者の人も间违っているんですよ。けど、私は売るなとはいいません。もう少し物の価値というものを知ってほしいんです」
间违っていた自分が耻ずかしくて、その後、おじいさんが言っていた言叶を头の中で、読み回していた。
周りのお店から闻こえてくる、「安くしますよ。买ってって下さい」という言叶を闻くと、今の自分达には、物の大切さや、お金のありがたさがまだ理解できていないんだなと思った。
今年の夏は、ひとつの物の大きな大きな価値、ひとつのお金の大きな大きな大切さを教えてくれた。これからの自分、物の価値やお金の価値を大切にしたい。
6,ズックの穴につまっているもの
ぼくの体操服の长ズボンは、つぎはぎだらけです。ぼくが穴を开けてくると、祖母は、小さくなった体操ズボンの生地を出して来て、つぎはぎをしてくれるのです。そして必ず、
「きたないけれど、きれいにできた」
と言って、ぼくにじまんそうに见せます。
先日、また大きな穴を开けてしまい、母が、
「そろそろ、新しいのを买おうか」
と言った时も、祖母はつぎはぎをして、
「こんなに大きくても、全然目立たんよ」
と、つぎはぎだらけのズボンを见せました。妹が大声で笑い出したので、ぼくや母だけでなく、祖母も大笑いしてしまいました。
でも、家に学校の内ズックを持って帰って来た时のことです。母は、ぼくのズックに、八つも大小の穴が开いているのを见て、
「こんなボロボロのズックはいていたの」
とぼくに言いました。妹もよって来て、
「ワァー、いっぱい、穴が开いている」
と惊きました。
ぼくは、
「だって学校から持って帰ってくると、あばあちゃんが洗ってくれるんや。せっかく洗ってくれたのに、すてるなんて言えん」
と、ちょっと怒りながら言いました。
すると母が、舍てかけたズックをもう1度见て、
「せっかくおばあちゃんが、洗ってくれたんだもんね。じゃあ、この次から新しいのにしよう。でも、はずかしくないの」
と闻きました。もちろん、ぼくは、
「全然はずかしくない」
と答えました。
はずかしいなんてぜいたくだと思いました。昨年、毎日のようにアフガニスタンでの戦争のニュースをテレビで见ていたからです。
平和や家族を失った人、けがをして困っている人、武器を持って戦争の准备をする子供达がいました。戦争から逃げてきた人达は、家はもちろん、食べ物も水もないうえに、寒さをしのぐ服もありません。もしお金をもって逃げて来たとしても、买う物がないのです。
そして祖母も、子供の顷に、戦争で家の近くにばくだんを落とされ、福井地震の大火事にもあいました。2度も家をなくし、食べ物もお金もなく、とても困ったのだそうです。
今、ぼくの家の近くには、ショッピングセンターやたくさんのスーパーなどがあり、欲しい物がいつでも简単に买えます。しかしそれは、平和な社会があるからこそ成り立つシステムなのだと、祖父が教えてくれました。ぼくは、祖母が物を大切にするのは、平和に感谢し、平和な日が続くように、望んでいるからのような気がしました。
ぼくのズックの穴は、毎日元気にたくさんの友达といっぱい游んだしょうこです。そして祖母が、いっしょうけんめいズックを洗ってくれたおかげです。ぼくにとってこのズックは、はくだけで元気のでる、どこでも买うことのできない、魔法のズックなのです。
7,大切に使うね
「今日の夕食、おいしいね」
「みんなうちでとれた野菜よ。买ったのは、これだけ」
母は、自まんげに言う。でも、その後に必ず、
「お父さんが、いっぱい野菜を作ってくれるおかげよね」
と、続ける。私たちも、
「うんうん」
と、うなずいて笑います。父も笑います。
私の家は、庭で野菜を作っています。野菜は、ほとんど买うことはありません。でも、そのために父も母も、暑い夏には炎天下に汗をかきながら、寒い冬には手をかじかませて、どろだらけになって畑仕事をします。
だから、私たちはそんな野菜をとても大事に食べます。
でも、この前、父母がいっしょうけんめい育てた野菜を市场に出しに行った时、私はびっくりしました。大きな大根が1本5円、白菜が1玉8円だったのです。市场について行った私はすごくショックでした。
帰り道、私は母に言いました。
「くやしいね、ばかみたい」
「肥料代になったらいいんよ」
と、笑う母もさみしそうでした。
私は、初めてお金を得ることの大切さを知りました。今まで、おこづかいを当たり前のようにもらっていました。おこづかい以外にも、祖母のお手伝いをすると300円、500円をもらっていました。でも、その300円は、野菜をたくさんたくさん売らなければ得られない金额だったのです。
母が、食事の时、
「买ったのはこれだけ」
と、自まんする本当のわけもやっと分かりました。母は、毎日がんばって働いてくれている父に感谢しているからこそけん约していたんだ。
私は、今までお金の大切さなど一度も考えたことはありませんでした。祭りの时や、デパートに行った时なんか结构パラパラ使っていました。私は、そのことを思い出してすごく反省しました。
「私、もう无だづかいせんからね」
その夜、父に言いました。父は笑っています。母も祖母もうれしそうでした。
父がいっしょうけんめい働いたお金も、祖母がくれるおこづかいも、これからは大切にしなくてはいけないと思いました。
くやしい思いをしたけれど、市场について行って本当によかったです。
お父さん、お母さん、おばあちゃん、お金の大切さを教えてくれてありがとう。
8,お・か・ね
私が小さな顷、买い物に付いて行っては、一つだけという约束で、おまけ付き100円・200円のおかしをよく买っていました。1ヶ月3,000円程にもなっていることに気付いた母は、突然年长の私に1,000円のおこづかいをくれました。
びっくりしたのとうれしさで、サイフに1,000円を入れて、いつものように母と买い物に出かけました。一日(ついたち)にもらったおこづかいは、5日程でなくなりました。次の月の一日まで、悲しい思いをしたことを覚えています。そこでお金の使い方を知らされました。
小学生になると1,000円が少しずつ残るようになってきました。残ったお金を毎月邮便局にジャラジャラいわせながら、持って行きました。
4年生になると、おこづかいは1,500円になりました。けれど、1,000円の时とは変わらず计画的に使い贮金をなるべく増やすようにしました。値段が高いものは、上手にためて买うこともできるようになりました。
今では、中学生になりおこづかいは3,000千円になりました。学用品その他すべて3,000円の中からです。今は少し余裕もあり目的を持ってお金を上手にためています。
私の母は、诞生日にほしい物を闻くと、
「お金で买えない世界に一つしかない物」
を要求してきます。私は家にあるものを材料にしてペン立てを作ったり时には料理を作ったりします。そんなプレゼントを母はとても喜んでくれます。
昨年の10月、私を小さい顷から大切にしてくれ、中学校入学を一番楽しみにしてくれていたヤスエさんが交通事故でなくなりました。青信号で横断歩道を渡っていたのに、ご主人に诞生日プレゼントを买いに行った帰りの事故でした。残された家族に戻ってきた物は、ヤスエさんではなくて、保険会社から支払われたお金だったと闻きました。
ヤスエさんの家族に支払われたお金と、私が毎月おこづかいとしてもらっているお金には、大きな违いを感じます。私のお金は、毎日家族のために働いた父が、给料日に持ち帰ったお金を、楽しみに待っておこづかいとしてもらった笑ったお札。ヤスエさんの家族のお金は命という一番大切なものとの引き替えにしかたなく受け取らされたくやしいお札。
ヤスエさんは私に世界に一つしかない洋服やバッグを作ってくれました。料理の天才だったヤスエさんと、今の季节には、しそジュースを饮んでいました。
ヤスエさんの死は、私にお金の価値というものを教えてくれました。また、お金がすべて人の心を豊かにしてくれるものではないということも知りました。
命の大切さ、健康であることの大切さを感じます。私は、今この幸せに感谢し、生きていくために必要なお金と上手に付き合える大人になりたいです。
9,ものやおかねのたいせつさ
わたしは、2年生になってから、おかあさんに「まゆは、ものをたいせつにしないね。なにかほしいときは、すぐぐずってかってもらおうとしているけど、ものをかうには、おとうさん、おかあさんがどんなおもいでまいにち、はたらいて、おかねをかせいでいるのかわかるの。それを、あっというまにつかいあきたら、もうひつようないというのは、いけない。おかねのありがたさ、おかねをかせぐためのどりょくをしてみなさい」とちゅういされました。
わたしは、いえのてつだいをしておかねを、ためてみようとおもいました。
うわぐつあらい。げんかんそうじ。せんたくほし。へやのかたづけ。ちゃわんあらい。おふろそうじ。ねこのエサあげ。
やすみの日にこんなにたくさんおてつだいをしました。おかあさんがひとつひとつかくにんして、「よくできたね。はい。おだちん」そういってわたしの手にくれたのは10えんでした。
わたしは「うそでしょ」そういってしまいました。
おかあさんは「あたりまえでしょう。そんなかんたんにおかねがたくさんもらえるとおもったの? だからおとなは大へんなんだよ。まいにちまいにち大へんなおもいをして、はたらいているの。ちょきんばこいっぱいになるまでがんばりなさい。いっぱいのちょきんばこになったら、まゆのすきなもの自分のおかねでかいなさい」そうつめたくいわれました。
こんなにがんばったのに。そうおもったけど、ほしいものがあるからちょきんばこいっぱいになるまで、がんばろうとおもった。
でもいつもおなじ。いっぱいおてつだいするのにいつもおかあさんは、10えんしかくれません。ときどきかなしくなります。
こんなにおてつだいしたのに。おかねをかせぐのってほんとうにたいへんで、そのおかねで、ものやたべものをかうのってほんとうにすごいことなんだと、いまになっておもってきました。
そう考えると、ティッシュのつかいすぎや、あきたからってえんぴつやけしゴムをとちゅうでかえてしまうのは、いけないことなんだとおもった。いっそくしかかってくれない、くつやうわぐつを、あらってつかうのもおかあさんがケチなんじゃなくものをたいせつにしているのかとおもった。
わたしのちょきんばこの10えんだまは、まだまだいっぱいになりません。もうさんかげつもたったのに。
字数超了发不了10篇。。。。。。
希望对你有帮助。
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