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日本战国大名上杉谦信发布的感状:当阵之模様无心元候间、内々以飞脚可申候処、此表仕置执纷令延引候、如启先书ニ、当月十五、游佐美浓守守年来以奏者之好令忠信、彼之谗轮ヘ当手可引...
日本战国大名上杉谦信发布的感状:
当阵之模様无心元候间、内々以飞脚可申候処、此表仕置执纷令延引候、如启先书ニ、当月十五、游佐美浓守守年来以奏者之好令忠信、彼之谗轮ヘ当手可引入由申候间、何蕨も不入愚入乗移、一日も不抱候、七尾城主ニ候长対马一类一族百余人讨捕、実城乗取、其外温井备中・三宅备后・内藤王・平以下身命计相扶、七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ、是者 贺・能之间之地ニ候间、源五殿、斎藤龙置、当国一変ニ申付候処ニ、是を信长一向ニ不知、十八、贺州凑川迄取越、数万骑阵取候所ニ、両越・能之诸军势为先势差遣、谦信事も直马候処ニ、信长、谦信后诘迄闻届候哉、当月二十三夜中ニ令败北候処ニ、乗押付、千余人讨捕、残者共悉河ヘ追笼候ケル、折节洪水张故、无瀬、人马不残押流候、(后略)天正五年九月十九日 长尾和泉守(あて先) 展开
当阵之模様无心元候间、内々以飞脚可申候処、此表仕置执纷令延引候、如启先书ニ、当月十五、游佐美浓守守年来以奏者之好令忠信、彼之谗轮ヘ当手可引入由申候间、何蕨も不入愚入乗移、一日も不抱候、七尾城主ニ候长対马一类一族百余人讨捕、実城乗取、其外温井备中・三宅备后・内藤王・平以下身命计相扶、七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ、是者 贺・能之间之地ニ候间、源五殿、斎藤龙置、当国一変ニ申付候処ニ、是を信长一向ニ不知、十八、贺州凑川迄取越、数万骑阵取候所ニ、両越・能之诸军势为先势差遣、谦信事も直马候処ニ、信长、谦信后诘迄闻届候哉、当月二十三夜中ニ令败北候処ニ、乗押付、千余人讨捕、残者共悉河ヘ追笼候ケル、折节洪水张故、无瀬、人马不残押流候、(后略)天正五年九月十九日 长尾和泉守(あて先) 展开
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现代日本语訳です。これを中国语に訳してみてはいかがでしょう?
当阵之模様无心元候间、
こちらの合戦の状况を知りたいとのことで、
あなたがここの戦争の状况知りたいから
内々以飞脚可申候処、
内々に使者を寄越されましたが、
こっそり使者を私のところに来させましたが、
此表仕置执纷令延引候
こちらは戦が长引いています。
ここの戦争は长く続いています。
如启先书ニ
先に使わした书状 のとおり、
以前にあなたに送った手纸の中で说明した様に
当月十五、游佐美浓守守年来以奏者之好令忠信、
今月十五日に游佐美浓守の年来の忠义もあって、
今月の15日に、昔からの忠诚心によって、游佐美浓守が手伝ってくれたので
何蕨も不入愚入乗移、
わが军を城内に引き入れることに成功し、
私达の军队を城の中にいれることができました。
一日も不抱候、
わずか一日で
一日だけで
七尾城主ニ候长対马一类一族百余人讨捕、実城乗取、
七尾城を制圧し、城主の长対马ら一族百余人を讨取り、 本丸を占拠しました。
七尾城を制圧し、城主长対马とその亲族百人以上を杀し、城の中心を占领しました。
其外温井备中・三宅备后・内藤王・平以下身命计相扶
温井备中、三宅备後、内藤ら畠山家臣の命は助けました。
温井备中、三宅备後、内藤ら畠山家臣のは杀しませんでした。
七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ
七尾城 が手に入りましたので、十七日に末森城を攻めて、ここも入手しました。
七尾城 が手に入ったので、十七日に末森城を攻撃して、ここも手に入れました。
是者 贺・能之间之地ニ候间、
末森城は加贺と 能登の国境にある城です。
末森城は加贺と 能登の国境にある城です。
源五殿、斎藤龙置、
源五殿(山浦国清)と斎藤龙(朝信)をここに置き、
源五殿(山浦国清)と斎藤龙(朝信)を末森城に居させて、
当国一変ニ申付候処ニ
能登をわが分国に変えることを申し付けましたが、
能登を私达の属国に変えることを命令しましたが、
是を信长一向ニ不知、
信长は一向にこれを知らない様子で、
信长は全くこれを知らない様子で、
十八、贺州凑川迄取越
十八日に加贺凑川(手取川)まで来ました。
十八日に加贺凑川(手取川)まで来ました。
数万骑阵取候所ニ、
数万骑の军势が阵取っているところに、
数万の骑马兵が待ち构えているところに、
両越・能之诸军势为先势差遣、
越後・越中・能登の诸军势を先阵として差し向け、
越後、越中、能登の军队を最初の军として出撃させ、
谦信事も直马候処ニ
私も马に乗って出撃したところ、
私も马に乗って出撃したところ、
信长、谦信后诘迄闻届候哉、
信长も私の後诘を知ったらしい。
信长も私が後から攻撃することを知ったようです。
当月二十三夜中ニ令败北候処ニ乗押付
二十三日の夜中に败走しているところを追撃し、
二十三日の夜中に败走している敌を追撃し、
千余人讨捕、残者共悉河ヘ追笼候ケル、
千人余を讨取り、残る者たちはことごとく川へ追い込みました。
千人以上を杀し、その他の全部の敌は川の中へ追い込みました。
折节洪水张故、无瀬、
ちょうど洪水で川は水かさが高く、立っている浅瀬もないので、
ちょうど洪水で川は深くて、人が立つことができる浅瀬がなかったので
人马不残押流候
人马が押し流され何も残らない有様でした。
人间も马も水で流されて、何も残らない状态でした。
天正五年九月二十九日
当阵之模様无心元候间、
こちらの合戦の状况を知りたいとのことで、
あなたがここの戦争の状况知りたいから
内々以飞脚可申候処、
内々に使者を寄越されましたが、
こっそり使者を私のところに来させましたが、
此表仕置执纷令延引候
こちらは戦が长引いています。
ここの戦争は长く続いています。
如启先书ニ
先に使わした书状 のとおり、
以前にあなたに送った手纸の中で说明した様に
当月十五、游佐美浓守守年来以奏者之好令忠信、
今月十五日に游佐美浓守の年来の忠义もあって、
今月の15日に、昔からの忠诚心によって、游佐美浓守が手伝ってくれたので
何蕨も不入愚入乗移、
わが军を城内に引き入れることに成功し、
私达の军队を城の中にいれることができました。
一日も不抱候、
わずか一日で
一日だけで
七尾城主ニ候长対马一类一族百余人讨捕、実城乗取、
七尾城を制圧し、城主の长対马ら一族百余人を讨取り、 本丸を占拠しました。
七尾城を制圧し、城主长対马とその亲族百人以上を杀し、城の中心を占领しました。
其外温井备中・三宅备后・内藤王・平以下身命计相扶
温井备中、三宅备後、内藤ら畠山家臣の命は助けました。
温井备中、三宅备後、内藤ら畠山家臣のは杀しませんでした。
七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ
七尾城 が手に入りましたので、十七日に末森城を攻めて、ここも入手しました。
七尾城 が手に入ったので、十七日に末森城を攻撃して、ここも手に入れました。
是者 贺・能之间之地ニ候间、
末森城は加贺と 能登の国境にある城です。
末森城は加贺と 能登の国境にある城です。
源五殿、斎藤龙置、
源五殿(山浦国清)と斎藤龙(朝信)をここに置き、
源五殿(山浦国清)と斎藤龙(朝信)を末森城に居させて、
当国一変ニ申付候処ニ
能登をわが分国に変えることを申し付けましたが、
能登を私达の属国に変えることを命令しましたが、
是を信长一向ニ不知、
信长は一向にこれを知らない様子で、
信长は全くこれを知らない様子で、
十八、贺州凑川迄取越
十八日に加贺凑川(手取川)まで来ました。
十八日に加贺凑川(手取川)まで来ました。
数万骑阵取候所ニ、
数万骑の军势が阵取っているところに、
数万の骑马兵が待ち构えているところに、
両越・能之诸军势为先势差遣、
越後・越中・能登の诸军势を先阵として差し向け、
越後、越中、能登の军队を最初の军として出撃させ、
谦信事も直马候処ニ
私も马に乗って出撃したところ、
私も马に乗って出撃したところ、
信长、谦信后诘迄闻届候哉、
信长も私の後诘を知ったらしい。
信长も私が後から攻撃することを知ったようです。
当月二十三夜中ニ令败北候処ニ乗押付
二十三日の夜中に败走しているところを追撃し、
二十三日の夜中に败走している敌を追撃し、
千余人讨捕、残者共悉河ヘ追笼候ケル、
千人余を讨取り、残る者たちはことごとく川へ追い込みました。
千人以上を杀し、その他の全部の敌は川の中へ追い込みました。
折节洪水张故、无瀬、
ちょうど洪水で川は水かさが高く、立っている浅瀬もないので、
ちょうど洪水で川は深くて、人が立つことができる浅瀬がなかったので
人马不残押流候
人马が押し流され何も残らない有様でした。
人间も马も水で流されて、何も残らない状态でした。
天正五年九月二十九日
追问
高手,求翻译成中国语
追答
すみません。仆は中国语への翻訳はあまり得意ではないので、この现代日本语をどなたかに中国语に翻訳してもらってください。
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日本战国大名上杉谦信发布性感谢状:
本阵之花纹无心原候回想,私下以飞脚可申候处,此表征伐执纷令拖长,候,如启先书两、当月十五,游佐美浓守守年来以演奏者之好令忠信,他之谗轮赫本手可引入由申候回想,什么也不入愚蠢蕨入乗移,一天也不抱期待、七尾城主ni候长対马一类一族百余人讨捕,実城乗取,其外温井备中·三宅备后·内藤王·平以下身命计相扶,七尾存分之尽二入事二,同十七,号末森与地模特得到二,是者贺·能力之间之地ni候回想,源五殿,斋藤本的国家,龙置改变两申付候处二,是相信长一向ni不知,十八,贺州凑川香吉士取越,数万骑阵取候所二,两位越、能之诸军势为先势差遣,谦信事也直马候处二,信长,谦信后诘香吉士闻届候哉,当月二十三半夜两令败北候处两、乘押付,千余人讨捕,残小子们悉河赫追笼候条款,折叠节洪水张故,无濑,人马不残押流候,(后略)天正五年九月十九日长尾和泉守(地址)
本阵之花纹无心原候回想,私下以飞脚可申候处,此表征伐执纷令拖长,候,如启先书两、当月十五,游佐美浓守守年来以演奏者之好令忠信,他之谗轮赫本手可引入由申候回想,什么也不入愚蠢蕨入乗移,一天也不抱期待、七尾城主ni候长対马一类一族百余人讨捕,実城乗取,其外温井备中·三宅备后·内藤王·平以下身命计相扶,七尾存分之尽二入事二,同十七,号末森与地模特得到二,是者贺·能力之间之地ni候回想,源五殿,斋藤本的国家,龙置改变两申付候处二,是相信长一向ni不知,十八,贺州凑川香吉士取越,数万骑阵取候所二,两位越、能之诸军势为先势差遣,谦信事也直马候处二,信长,谦信后诘香吉士闻届候哉,当月二十三半夜两令败北候处两、乘押付,千余人讨捕,残小子们悉河赫追笼候条款,折叠节洪水张故,无濑,人马不残押流候,(后略)天正五年九月十九日长尾和泉守(地址)
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对古文跪了。。。
追问
有这么难吗。。。。。。。。。
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真的挺难的,还得先理解意思。。这种吃力不讨好的事没几个人愿意做的。。。因为真的太难了。。。
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