唐朝时日本开往中国的船上面的人物被称为什么?
唐朝时日本开往中国的船上面的人物被称为:遣唐使。
从公元七世纪初至九世纪末约264年的时间里,日本为了学习中国文化,先后向唐朝派出十几次遣唐使团。其次数之多、规模之大、时间之久、内容之丰富,可谓中日文化交流史上的空前盛举。遣唐使对推动日本社会的发展和促进中日友好交流做出了巨大贡献。
公元630年,舒明天皇终于派出了第一次遣唐使,从630-895年的二百六十多年间,日本正处于社会变革时期,奈良时代和平安时代的日本朝廷一共任命了十九次遣唐使,其中尤以阿倍仲麻吕、吉备真备随行的第八次遣唐使最为著名。日本政府不断派人到中国学习,每次派出的遣唐使团多达百人以上,有时多至五百余人。中国的许多律令制度、文化艺术、科学技术以及风俗习惯等,通过他们传入日本,对日本的社会发展产生了重大影响。
直到894年由菅原道真建议废止后再没有继续。中间时间长达200多年。使唐文化及佛教文化在日本的广泛传播作出重大贡献。
评价:
遣唐使们在航海技术未发达时,乘坐简易的使船,为了完成任务拼命地来到中国。遣唐使团内有很多成员,他们各自担任不同的工作,齐心协力共渡难关。遣唐使们在中国全身心地投入到学习中,学成归国的人给日本的政治、文化、经济等方面带来了显著的影响,还促进了中日的贸易往来。另外,也有很多的遣唐使留在了中国,为唐朝的发展做出了贡献。他们这谦虚好学,不畏困苦精神值得我们学习。在以和平与发展成为时代主题的今天,在现在如此发达的科技下,跟以前相比我们有着各种方便与优势,因此我们应该“以史为鉴,面向未来”,互相学习,互相影响,共同缔造一个和谐共进的社会!
由历史我们可以知道:只要是先进的、并为人类的文明发展有所贡献的科学文化知识,不管是古今中外,也不管他是社会主义国家的还是资本主义国家的,都不应排斥。而应抱着古为今用,洋为中用,取其精华,去其糟粕的态度,善待善学善取善用,要用历史唯物主义观点和面向世界、面向未来的目光和襟怀,正确对待那无法避免的文化冲突问题,发展有中国特色的社会主义!
2020-03-13
阿倍仲麻吕、菅原道真、最澄、空海
西暦 王朝 主な出来事
600年 隋 初の遣隋使が派遣される。しかし、派遣された人物は不明で、文帝との面会は叶わなかった。
607年 第二回遣隋使として、小野妹子が派遣され、日本と隋による国交が树立。
608年 第三回遣隋使として小野妹子、高向玄理、僧旻、南渊请安ら8人、隋へ留学する。
614年 第四回遣隋使として犬上御田锄が派遣される。しかし、618年に隋が灭んでしまい、これが最後の遣隋使となった。
630年 唐 第一回遣唐使として、犬上御田锄が派遣される。
653年 第二回遣唐使が派遣される。
654年 第三回遣唐使として、高向玄理が派遣される。
659年 第四回遣唐使が派遣される。
665年 第五回遣唐使が派遣される。
669年 第六回遣唐使が派遣される。
702年 第七回遣唐使として、粟田真人、山上忆良が派遣される。
717年 第八回遣唐使として、阿倍仲麻吕、吉备真备、玄昉、井真成が派遣される。
733年 第九回遣唐使が派遣される。
746年 第十回遣唐使、派遣中止。
752年 第十一回遣唐使として、藤原清河、吉备真备が派遣される。
759年 第十二回遣唐使が派遣される。
761年 第十三回遣唐使が派遣される。
762年 第十四回遣唐使が派遣される。
777年 第十五回遣唐使、派遣中止。
779年 第十六回遣唐使、派遣中止。
804年 第十七回遣唐使として、最澄、空海、橘逸势、霊仙が派遣される。
838年 第十八回遣唐使として、円仁が派遣される。
894年 第十九回遣唐使、菅原道真の建议により、派遣中止。