关于“日本人の自杀”的日语论文,要日文版的

要写论文了,我想写“日本人の自杀”。急求日文原文的资料,越详细越好。不要中文的要日文原文的!或者推荐几本原文参考书给我。希望日语高手帮忙,不要直接复制个网站给我,论文网站... 要写论文了,我想写“日本人の自杀”。急求日文原文的资料,越详细越好。不要中文的要日文原文的!或者推荐几本原文参考书给我。
希望日语高手帮忙,不要直接复制个网站给我,论文网站都不得行。
谢谢,回答的好的有追分!
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 我来答
糕物仙威良弃堡1n
2008-12-23
知道答主
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「若い世代から、『生きている実感がない』という声を多く闻きます。子供に対する虐待、1年间で3万件を超える自杀、后を绝たない少年犯罪など、命の実感を持つことが难しい社会で、生きているのかもしれません」

平成13年3月24日、NHKで放送された「にんげん広场21いのち」の冒头で、番组の司会者は、こう切り出しました。スタジオには、様々な立场の人が集まり、「いのちの重さを実感できますか」をテーマに、讨论を展开しました。

しかし、一时间余りの放送の中に、纳得できる解答は示されず、苦悩する若者の実态だけが浮き雕りにされたように思います。番组出演者の発言と、NHKがインターネットで募集した中から赤裸々な证言の数々を绍介します。

■T氏 28(テレビにて)

仆の场合、激しいいじめとかではなく、小学校から高校にかけて、じわじわと精神的にダメージを受けていきました。クラスメートの中にいても违和感があり、溶け込めず、孤独を感じていたんです。大势の中で感じる孤独は、独りぼっちでいる孤独よりもつらくて、高校2年の时、ひきこもりを选択しました。

日本にいる、80万人のひきこもりの若者は、「生きる意味が见つからない」とか、「自分の存在価値が分からない」と言っています。ハッキリ言って命の実感はないし、生きる意味とか、教えてほしいですよ。オレ、このままなら死にますよ。放っておけば、本当に。
自杀についての考察hirogenome1993さん

自杀についての考察

自杀は许されるのか?
この知恵袋でもいろんな意见が交わされています。
基本的には"自杀イクナイ"という论が大多数を占めているように见受けられるのですが、
私の个人的意见としては自杀自体が良くないのではなく、自杀后の事后処理を含めた周囲に対する迷惑行为が问题だと思います。

そこで自杀を法的に条件付の上で许可制にすればいいと思うのですが、どうでしょうか。

例えば、
・申请制にして突発的な自杀を防ぐ。(届けを出してから6ヶ月后に実行可能。その间気が変わったら申请を取り下げられるが、申请を取り消してから2年间は自杀申请できない)
・自杀料金(または税金)を支払う。(民间でも公的机関でも良いので処理业者を作り、自杀后の死体処理から縁者等がいない场合の葬仪费用など必要経费を自分の遗产から贿う)
・申请せずに自杀した场合は刑事罚とする。(ニュース等でも自杀者を拥护するような报道だが、自杀は悪と断定し、犯人扱いの报道をする。本人に遗产があれば罚金として徴収する。)

幸い身近で自杀の现场に立ち会った事は无いのですが、自杀と闻くたびに迷惑な话だと思います。
いじめられたとか、生きているのに疲れたとか、はっきり言って本人は死んで満足でしょうが、后始末・巻き込まれる方はいい迷惑です。
自杀対策基本法の施行(平成18年10月28日)

近年、年间3万人を超える方が自杀で亡くなられていることは、诚に痛ましい事态であり、深刻に受け止める必要があります。
自杀は、个人的な问题としてのみとらえるべきものではなく、その背景に様々な社会的要因があることを踏まえ、総合的な対策を早急に确立すべき时期にあります。
政府においては、これまでも各省庁において自杀予防対策に取り组んできたところでありますが、今后は自杀対策基本法に基づき、自杀の防止及び自杀者の亲族等への支援の充実等を図るなど、自杀対策の総合的な推进を図っていきます日本人の自杀

日本人の死生観の変化について

1
最近の日本人の自杀は、异常なほどの数に上っている。一年に、三万四千というから、地方の小さな都市の人が、すべて自杀してしまうような数に上っている。いったいに日本人の心のなかで何が起こっているのか。社会心理学的な视点を持ちながら、日本人にとって自らを杀すという意味における「自杀」という行为は、过去においてどんな意味をもっていたのか、そして今、どのように现代人が捉えているのか、难しいテーマではあるが、少しばかり考えてみたい。

妙な言い方をすれば、日本は切腹の国として海外に知られている侧面もある。もちろん明治以降、武士阶级の消灭した近代国家日本において、この「切腹」の习惯は、なくなったかに见える。しかし时々、その后も、自决する日本人は、「切腹」こそないが后を绝たない。天皇崩御に殉じて自决した乃木希典(のぎまれすけ:1849-1912)大将の切腹は有名だ。また太平洋戦争后、25年も経た1970年に、市ヶ谷の自卫队総监部で切腹を遂げた文豪三岛由纪夫(1925-1970)の事件は、世界中に「三岛ハラキリ」と报じられ、冲撃を与えた。

かつて切腹は、源氏と平家が并び立つ时代から、明治维新がやってくるまで、およそ七百年间の长きに渡って日本の実质的権力者だった武士阶级にとっての名誉ある死の形とみなされてきた。

切腹死した三岛は、明确に切腹と自杀を当然のように分けて考えている。主体的に自ら死に赴くことと、己の弱さのために死にゆくのは违うということだろう。三岛は世代的に先辈にあたる太宰治(1909-1948)の文学とその自杀を异様なほど嫌った。その三岛の言叶の影で、実は三岛と太宰はよく似ていると言う人もいる。

三岛は、明らかに切腹という行为を「日本の文化的理念」として捉えている。丸山真男(1914-1996)の言い方で言えば、切腹とは「武士のエートス」(ある集団の中における习惯)ということになる。この武士阶级のエートスが、いつの间にか、日本人のエートスのようにすり替わってきたわけだが、武士阶级の自决のエートスが、间违った形で喧伝された结果、第二次大戦では、捕虏になることを洁しとしない多くの若者が、自决したり、あるいは自死に近い玉砕の死を选んでしまった不幸な歴史がある。

三岛の精神の中には、ポジティブに考えれば、自分もまた彼らと同じように自决なり、玉砕できなかったという负目のような纯粋さが、その理知的な文体の中には溢れている。彼が军队に行けなかった理由は、ただひとつ子供の顷に体が顽健でなかったという一点にあった。その弱さを克服するために、三岛はボディビルという铠を缠い、ボクシングや空手まで习い。剣道修行にも励んだ。

いつしかひ弱だった体は、别人のようになった。三岛は己の锻え上げた体を夸示しながら、日本の文化を継承する理念を持つようになると、武士の理念としての切腹という行为に异様に倾倒しはじめた。その结果、小说「忧国」(1961)として结実した。また自らで「忧国」を映画化(1965)し、主役を演じて切腹の作法を忠実に再现してみせた。その映画の中に私は、三岛由起夫の「死への本能」(タナトス)を见て愕然としたものだ。

一体何が、彼の中であったのか、何故かくも三岛の中で、日本文化の强の部分が强调されてしまったのか。そして最后に轮廻転生をテーマとした四部作の长编小说「豊穣の海」(1965~1970)の最后の章「天人五衰」(1970)を书き终えて死んだ。おそらく三岛の精神には、自分は次の世に别の存在に転生して、自分の魂がテーマとする何物かを実现するために生まれてくるぞ、という确信のようなものを持っていたに违いない。

人は三岛由起夫に限らず、自ら死に赴くとき、自分なりの正当な死の理由というものを见つけようとする。三岛の场合、自らの腹を切ることの理由としては、忧国(日本精神を忘れた日本という国家の现状を忧いてのこと)であったと言われる。太宰の场合、彼は行き诘まった弱き自分を消灭させたいという自杀愿望が学生时代からあり、自杀未遂を缲り返しての最期であった。三岛の定义にそえば、强い自杀と弱いゆえの自杀があるということになる。しかし自分らしくあるという一点においては、强いも弱いもない。死さえも自分らしさの表现。あるいはアイデンティティのためにという考え方がある。そのことを考えあわせるならば、太宰の死もまた自分らしさの追求の最后の一手であったと考えられなくもない。

思うに三岛が、轮廻転生の长编を描いたのは、彼の信念というよりは、彼の弱さ(あるいは死后も生きたいという愿望)から来ていると考える。死は一切の消灭であるというよりは、死が次の生へのステップだという强い思いがあるからこそ、彼は、自决という行为をしようと死の本能の赴くままに阶段を一歩一歩升っていったのである。

2
人间には、潜在意识の中に「死への本能(タナトス)」がある、と言ったのは、フロイト(1856-1939)である。奇妙な言い方が许されるならば、「死にたいという冲动」は、「もっと生きたいという冲动」である。その相矛盾した精神の葛藤こそが、人の心というものだ。しかし死へ赴きたいとの冲动は、普段、潜在意识として、心の奥底に抑圧されて封印されている。ふとした瞬间にその抑圧されていた本能に、スイッチが入って、强い愿望となって颜を覗かせることがある。自分の潜在意识という羽を抜いて、「鹤の恩返」の鹤のように作品にしている文学者にとっては、タナトスの扉を间违って开けてスイッチを入れてしまう危険は普通の人间よりは遥かに多いはずだ。

フランスのノーベル赏作家アルベール・カミュ(1913-1960)は、自杀について、このように言っている。
「真に重大な哲学上の问题はひとつしかない。自杀ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本问题に答えることなのである。(中略)これまで自杀は社会现象のひとつとしか扱われなかった。しかし、いまここでまず问题にしようとしているのは、それとは反対に、个人の志向と自杀との関系である。自杀というこの动作は、伟大な作品と同じく、心情の沈黙のなかで准备される。当人自身もそれを知らない。ある夜、かれはピストルの引き金を引く。あるいは见を投げる。・・・」(「シューシュポスの神话」より「不条理と自杀」新潮文库清水彻訳昭和44年刊)

西洋社会においては、日本ほど自杀者に対して寛容ではない。カソリックでは、墓さえも作れない。プロテスタントの场合は、それほど厳しくはないが、决して褒められた行为とは见なされなかった。中世においては、犯罪行为ですらあった。これはキリストという人物が、死よりも遥かに苦しい责めを受けながらも、これを原罪として受け止めて、天に召されて行った精神を酌んでのことだろう。しかし市民が个人の意识に目覚めて以降、自杀も个人の自由な意志に基づく一种の権利と见なされるようになった。「神は死んだ」と反プロテスタント的な言辞を述べたニーチェ(1844-1900)は、自杀について「自由な権利」とまで言い切って、自杀が个人の尊厳を担保する行为のように规定した。しかし以前として、キリスト教を精神的基盘とする欧米社会にあって自杀行为は、日本ほど寛容をもって受け入れられることはない。今でも、西洋においても自杀はある种の禁忌として、日本のように切腹の美谈として语られることは稀である。

ドイツの哲学者ショーペンハウエル(1788-1860)に「自杀论」がある。この中で彼は、「一体谁にしても自分自身の身体と生命に関してほど争う余地のない権利をもっているものはこの世にほかにないということは明白ではないか」(「自杀论」斉藤信治訳 岩波文库 昭和27年刊)と语っている。

この考え方を突き诘めれば、ニーチェがいう「自由な権利」ということになり、「自决の権利」が导き出されることになる。日本国宪法の13条には、「个人の尊重」として、「すべての国民は、个人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と明记されている。日本の法学界でも、概ねこの13条の规定によって、日本国民は、宪法上「自决の権利」を有していると解釈されている。

とすれば、日本人の自杀というものは、日本の歴史の中で武士阶级の切腹的自决の思想が、あたかも日本の伝统的精神文化と解釈されてきたところに、后に欧米流の「个人の権利」として认められた自决论が西洋哲学や宪法という形で、実质的に追认されたことになる。日本で自杀が一向に减少せず、3万四千という膨大な人々が自杀する背景には、このような复雑に络み合った和洋混交の日本人の死生観が働いているような気がしてならないのだ。

3
日本の刑法をみれば、第202条に「自杀関与及び同意杀人」の规定がある。
曰く、「人を教唆し若しくは幇助(ほうじょ)して自杀さえ、又は人をその嘱托(しょくたく)を受け若しくはその承诺を得て杀した者は、六月以上七年以下の惩役又は禁固に処する」とある。未遂の场合は、同じく203条で罚せられることになっている。

当然と言えば当然だが、自杀者本人には、「自决権」があるから、未遂の场合でも罚せられない。本来、自杀は罪ではないから未遂者は无罪となる。そもそも「自决権」という文言を、吟味してみれば、自己の生存権を谁にも犯されることなく、自由に决定できる権利のことである。「民族自决権」という言叶にすると、この「自决権」という真の意味がはっきりする。谁も、「民族自决権」を、「ある特定の民族が、集団自杀する権利」だとは、绝対に思わない。その意味は、ある民族の生存権と统治権を意味する。すなわち宪法上の「自决権」の本来の意味は、「自杀する権利」ではなく、谁にも束缚される「生き続ける権利」と考えるべきである。以上の「自决権」の考察から、宪法13条の解釈を楯に、日本国民には、自杀を自决権として认める通说に异论を唱える法学者が出ても良さそうなものである。

私は「自杀は刑法上罪とはならない」ということが、日本が现在のような自杀大国となってしまった主要因だとは思わない。むしろ问题なのは、自杀を思い止まらせる社会システムが世の中から消えてしまったことの方が问题だと考える。それは、各地に「自杀110番」や「自杀志愿者の駆け込み寺」あるいは「自杀カウンセリング机関」のような施设がない、というようなことを云っているのではない。私が云いたいのは、过去においては、どこでも存在していた地域や家族の地縁血縁的関系性が稀薄になってしまったということを云いたいのである。

少なくても、日本では、自杀は、自杀という行为は、モラル上からも决して褒められた行为ではない。忌み嫌われるタブーであった。昔から日本では自杀者を出した家は、疎まれる倾向があった。特に地域住民の密着度の强い地方では、この倾向は强かった。もちろんある种の差别にも通じる可能性のある共同体的精神构造を必ずしも全面的に肯定するものではないが、「疎まれる」という暗黙の规范が、日本という地縁血縁の强い社会においては、自杀を思い止まらせる强制力として働いていたことも事実であった。またかつては、どの地域にも、一度怒れば怖いが、亲身になって人の话を闻いてくれる顽固なオヤジさんや世话好きなオバさんの一人や二人はいたものだ。

ところが、今や日本中、核家族の倾向が强まって、地方の若者は刺激の强い大都市周辺に集中し、地方は过疎が进んで、高齢者ばかりが目立つ社会となってしまった。都会でも核家族化の倾向は同じで、结婚をすると、父母を舍てて、别の所帯に移ってしまう。结婚をしなくても、亲元を离れ、狭いアパートでの一人暮らしを志向する若者が多い。日本が自杀大国となってしまった原因には、やはりこの核家族の倾向が强まってしまって、それまで働いていた自杀抑制の社会的机能が壊れてしまったことにあるのではないだろうか。

4
フランスの社会学者デュルケーム(1858?1917)は、「自杀论」を著した。デュルケームは自杀を四つの类型に分けて定义する。すなわち、「宿命的自杀」、「自己本位的自杀」、「集団本意的自杀」、「アノミー的自杀」である。特に注目したいのは、四つ目の「アノミー的自杀」の「アノミー」(anomie)という言叶である。

「アノミー」は、ギリシャ语の「Anomous」から采られた言叶である。これは「无法状态」を指し、日本语では「无法律状态」とか「神法の无视」と訳されている。要するにひとつの集団の中で、ある行为を规制す価値観や道徳が崩壊あるいは混乱し、法律以前の混沌した状态に陥った状况を指す言叶である。デュルケームは、このアノミーを现代人の精神病理を心を解くキーワードとしているのである。

この「アノミー」という言叶を地で行くような冲撃的な事件がつい最近の日本で起きた。

2004年10月12日、早朝、インターネットで知り合ったと见られる男女7人がワゴン车の中に练炭を置き、大量の睡眠薬を饮んで、自杀するという事件が崎玉県で発生した。大概は二十才前后の若者だったが、その中のリーダー格の女性は、幼い2人子供の母亲で、34才の女性だった。彼女の遗书には「ごめんね、お母さん死んじゃうけど、あなたたちを生んでうれしかった」という言叶が遗されていた。

まったくこの母亲の気持は、理解できない。これを読む、わが子の気持を考えて书いているとも思えない。可爱い盛りの幼いわが子を置き去りし、「死にたい」という思いを持って集まった他人と死んでゆく、彼女の行为は、死に行くものをむち打つつもりはないが、余りにも无责任で、怒りさえ込み上げてくる。この自杀は、まさに「アノミー」(神をも畏れぬ非道徳的行为)な、自杀であったと断ぜざるを得ない。

それにしてもこの女性の中でどんなきっかけがあって、自杀という「死への冲动」が忍び寄り、やがてそれが强烈な愿望とまで膨れあがって、决行に至ったのか、その心の动きの过程を解明したいものである。本来女性には、「母性」という本能が、生得的に备わっていると言われる。そしてこの母性は、広く动物一般が生まれ付いて持っている本能である。その本能を上回る死の诱惑というものは存在するのであろうか。

通常、母性という本能は、自分の子を出产するとより强くなるものである。交通事故などで、瞬间的に子供をかばって、母亲が轹死(れきし)するという话はよく闻く。でも最近では、母性というものが、どうも危机を迎えているようにも思えてならない。最近では、自分がお腹を痛めて生んだわが子を虐待したりする女性も新闻を赈わすようになった。自杀という行为の前には、こうした母性のような本能そのものが、アノミー的になってしまった现代人の精神病理が背景にあるのではないだろうか。
lubaaba
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  日本人の自杀

  日本人の死生観の変化について

  1
  最近の日本人の自杀は、异常なほどの数に上っている。一年に、三万四千というから、地方の小さな都市の人が、すべて自杀してしまうような数に上っている。いったいに日本人の心のなかで何が起こっているのか。社会心理学的な视点を持ちながら、日本人にとって自らを杀すという意味における「自杀」という行为は、过去においてどんな意味をもっていたのか、そして今、どのように现代人が捉えているのか、难しいテーマではあるが、少しばかり考えてみたい。

  妙な言い方をすれば、日本は切腹の国として海外に知られている侧面もある。もちろん明治以降、武士阶级の消灭した近代国家日本において、この「切腹」の习惯は、なくなったかに见える。しかし时々、その后も、自决する日本人は、「切腹」こそないが后を绝たない。天皇崩御に殉じて自决した乃木希典(のぎまれすけ:1849-1912)大将の切腹は有名だ。また太平洋戦争后、25年も経た1970年に、市ヶ谷の自卫队総监部で切腹を遂げた文豪三岛由纪夫(1925-1970)の事件は、世界中に「三岛ハラキリ」と报じられ、冲撃を与えた。

  かつて切腹は、源氏と平家が并び立つ时代から、明治维新がやってくるまで、およそ七百年间の长きに渡って日本の実质的権力者だった武士阶级にとっての名誉ある死の形とみなされてきた。

  切腹死した三岛は、明确に切腹と自杀を当然のように分けて考えている。主体的に自ら死に赴くことと、己の弱さのために死にゆくのは违うということだろう。三岛は世代的に先辈にあたる太宰治(1909-1948)の文学とその自杀を异様なほど嫌った。その三岛の言叶の影で、実は三岛と太宰はよく似ていると言う人もいる。

  三岛は、明らかに切腹という行为を「日本の文化的理念」として捉えている。丸山真男(1914-1996)の言い方で言えば、切腹とは「武士のエートス」(ある集団の中における习惯)ということになる。この武士阶级のエートスが、いつの间にか、日本人のエートスのようにすり替わってきたわけだが、武士阶级の自决のエートスが、间违った形で喧伝された结果、第二次大戦では、捕虏になることを洁しとしない多くの若者が、自决したり、あるいは自死に近い玉砕の死を选んでしまった不幸な歴史がある。

  三岛の精神の中には、ポジティブに考えれば、自分もまた彼らと同じように自决なり、玉砕できなかったという负目のような纯粋さが、その理知的な文体の中には溢れている。彼が军队に行けなかった理由は、ただひとつ子供の顷に体が顽健でなかったという一点にあった。その弱さを克服するために、三岛はボディビルという铠を缠い、ボクシングや空手まで习い。剣道修行にも励んだ。

  いつしかひ弱だった体は、别人のようになった。三岛は己の锻え上げた体を夸示しながら、日本の文化を継承する理念を持つようになると、武士の理念としての切腹という行为に异様に倾倒しはじめた。その结果、小说「忧国」(1961)として结実した。また自らで「忧国」を映画化(1965)し、主役を演じて切腹の作法を忠実に再现してみせた。その映画の中に私は、三岛由起夫の「死への本能」(タナトス)を见て愕然としたものだ。

  一体何が、彼の中であったのか、何故かくも三岛の中で、日本文化の强の部分が强调されてしまったのか。そして最后に轮廻転生をテーマとした四部作の长编小说「豊穣の海」(1965~1970)の最后の章「天人五衰」(1970)を书き终えて死んだ。おそらく三岛の精神には、自分は次の世に别の存在に転生して、自分の魂がテーマとする何物かを実现するために生まれてくるぞ、という确信のようなものを持っていたに违いない。

  人は三岛由起夫に限らず、自ら死に赴くとき、自分なりの正当な死の理由というものを见つけようとする。三岛の场合、自らの腹を切ることの理由としては、忧国(日本精神を忘れた日本という国家の现状を忧いてのこと)であったと言われる。太宰の场合、彼は行き诘まった弱き自分を消灭させたいという自杀愿望が学生时代からあり、自杀未遂を缲り返しての最期であった。三岛の定义にそえば、强い自杀と弱いゆえの自杀があるということになる。しかし自分らしくあるという一点においては、强いも弱いもない。死さえも自分らしさの表现。あるいはアイデンティティのためにという考え方がある。そのことを考えあわせるならば、太宰の死もまた自分らしさの追求の最后の一手であったと考えられなくもない。

  思うに三岛が、轮廻転生の长编を描いたのは、彼の信念というよりは、彼の弱さ(あるいは死后も生きたいという愿望)から来ていると考える。死は一切の消灭であるというよりは、死が次の生へのステップだという强い思いがあるからこそ、彼は、自决という行为をしようと死の本能の赴くままに阶段を一歩一歩升っていったのである。

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  人间には、潜在意识の中に「死への本能(タナトス)」がある、と言ったのは、フロイト(1856-1939)である。奇妙な言い方が许されるならば、「死にたいという冲动」は、「もっと生きたいという冲动」である。その相矛盾した精神の葛藤こそが、人の心というものだ。しかし死へ赴きたいとの冲动は、普段、潜在意识として、心の奥底に抑圧されて封印されている。ふとした瞬间にその抑圧されていた本能に、スイッチが入って、强い愿望となって颜を覗かせることがある。自分の潜在意识という羽を抜いて、「鹤の恩返」の鹤のように作品にしている文学者にとっては、タナトスの扉を间违って开けてスイッチを入れてしまう危険は普通の人间よりは遥かに多いはずだ。

  フランスのノーベル赏作家アルベール・カミュ(1913-1960)は、自杀について、このように言っている。
  「真に重大な哲学上の问题はひとつしかない。自杀ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本问题に答えることなのである。(中略)これまで自杀は社会现象のひとつとしか扱われなかった。しかし、いまここでまず问题にしようとしているのは、それとは反対に、个人の志向と自杀との関系である。自杀というこの动作は、伟大な作品と同じく、心情の沈黙のなかで准备される。当人自身もそれを知らない。ある夜、かれはピストルの引き金を引く。あるいは见を投げる。・・・」(「シューシュポスの神话」より「不条理と自杀」新潮文库清水彻訳昭和44年刊)

  西洋社会においては、日本ほど自杀者に対して寛容ではない。カソリックでは、墓さえも作れない。プロテスタントの场合は、それほど厳しくはないが、决して褒められた行为とは见なされなかった。中世においては、犯罪行为ですらあった。これはキリストという人物が、死よりも遥かに苦しい责めを受けながらも、これを原罪として受け止めて、天に召されて行った精神を酌んでのことだろう。しかし市民が个人の意识に目覚めて以降、自杀も个人の自由な意志に基づく一种の権利と见なされるようになった。「神は死んだ」と反プロテスタント的な言辞を述べたニーチェ(1844-1900)は、自杀について「自由な権利」とまで言い切って、自杀が个人の尊厳を担保する行为のように规定した。しかし以前として、キリスト教を精神的基盘とする欧米社会にあって自杀行为は、日本ほど寛容をもって受け入れられることはない。今でも、西洋においても自杀はある种の禁忌として、日本のように切腹の美谈として语られることは稀である。

  ドイツの哲学者ショーペンハウエル(1788-1860)に「自杀论」がある。この中で彼は、「一体谁にしても自分自身の身体と生命に関してほど争う余地のない権利をもっているものはこの世にほかにないということは明白ではないか」(「自杀论」斉藤信治訳 岩波文库 昭和27年刊)と语っている。

  この考え方を突き诘めれば、ニーチェがいう「自由な権利」ということになり、「自决の権利」が导き出されることになる。日本国宪法の13条には、「个人の尊重」として、「すべての国民は、个人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と明记されている。日本の法学界でも、概ねこの13条の规定によって、日本国民は、宪法上「自决の権利」を有していると解釈されている。

  とすれば、日本人の自杀というものは、日本の歴史の中で武士阶级の切腹的自决の思想が、あたかも日本の伝统的精神文化と解釈されてきたところに、后に欧米流の「个人の権利」として认められた自决论が西洋哲学や宪法という形で、実质的に追认されたことになる。日本で自杀が一向に减少せず、3万四千という膨大な人々が自杀する背景には、このような复雑に络み合った和洋混交の日本人の死生観が働いているような気がしてならないのだ。

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  日本の刑法をみれば、第202条に「自杀関与及び同意杀人」の规定がある。
  曰く、「人を教唆し若しくは幇助(ほうじょ)して自杀さえ、又は人をその嘱托(しょくたく)を受け若しくはその承诺を得て杀した者は、六月以上七年以下の惩役又は禁固に処する」とある。未遂の场合は、同じく203条で罚せられることになっている。

  当然と言えば当然だが、自杀者本人には、「自决権」があるから、未遂の场合でも罚せられない。本来、自杀は罪ではないから未遂者は无罪となる。そもそも「自决権」という文言を、吟味してみれば、自己の生存権を谁にも犯されることなく、自由に决定できる権利のことである。「民族自决権」という言叶にすると、この「自决権」という真の意味がはっきりする。谁も、「民族自决権」を、「ある特定の民族が、集団自杀する権利」だとは、绝対に思わない。その意味は、ある民族の生存権と统治権を意味する。すなわち宪法上の「自决権」の本来の意味は、「自杀する権利」ではなく、谁にも束缚される「生き続ける権利」と考えるべきである。以上の「自决権」の考察から、宪法13条の解釈を楯に、日本国民には、自杀を自决権として认める通说に异论を唱える法学者が出ても良さそうなものである。

  私は「自杀は刑法上罪とはならない」ということが、日本が现在のような自杀大国となってしまった主要因だとは思わない。むしろ问题なのは、自杀を思い止まらせる社会システムが世の中から消えてしまったことの方が问题だと考える。それは、各地に「自杀110番」や「自杀志愿者の駆け込み寺」あるいは「自杀カウンセリング机関」のような施设がない、というようなことを云っているのではない。私が云いたいのは、过去においては、どこでも存在していた地域や家族の地縁血縁的関系性が稀薄になってしまったということを云いたいのである。

  少なくても、日本では、自杀は、自杀という行为は、モラル上からも决して褒められた行为ではない。忌み嫌われるタブーであった。昔から日本では自杀者を出した家は、疎まれる倾向があった。特に地域住民の密着度の强い地方では、この倾向は强かった。もちろんある种の差别にも通じる可能性のある共同体的精神构造を必ずしも全面的に肯定するものではないが、「疎まれる」という暗黙の规范が、日本という地縁血縁の强い社会においては、自杀を思い止まらせる强制力として働いていたことも事実であった。またかつては、どの地域にも、一度怒れば怖いが、亲身になって人の话を闻いてくれる顽固なオヤジさんや世话好きなオバさんの一人や二人はいたものだ。

  ところが、今や日本中、核家族の倾向が强まって、地方の若者は刺激の强い大都市周辺に集中し、地方は过疎が进んで、高齢者ばかりが目立つ社会となってしまった。都会でも核家族化の倾向は同じで、结婚をすると、父母を舍てて、别の所帯に移ってしまう。结婚をしなくても、亲元を离れ、狭いアパートでの一人暮らしを志向する若者が多い。日本が自杀大国となってしまった原因には、やはりこの核家族の倾向が强まってしまって、それまで働いていた自杀抑制の社会的机能が壊れてしまったことにあるのではないだろうか。

  4
  フランスの社会学者デュルケーム(1858?1917)は、「自杀论」を著した。デュルケームは自杀を四つの类型に分けて定义する。すなわち、「宿命的自杀」、「自己本位的自杀」、「集団本意的自杀」、「アノミー的自杀」である。特に注目したいのは、四つ目の「アノミー的自杀」の「アノミー」(anomie)という言叶である。

  「アノミー」は、ギリシャ语の「Anomous」から采られた言叶である。これは「无法状态」を指し、日本语では「无法律状态」とか「神法の无视」と訳されている。要するにひとつの集団の中で、ある行为を规制す価値観や道徳が崩壊あるいは混乱し、法律以前の混沌した状态に陥った状况を指す言叶である。デュルケームは、このアノミーを现代人の精神病理を心を解くキーワードとしているのである。

  この「アノミー」という言叶を地で行くような冲撃的な事件がつい最近の日本で起きた。

  2004年10月12日、早朝、インターネットで知り合ったと见られる男女7人がワゴン车の中に练炭を置き、大量の睡眠薬を饮んで、自杀するという事件が崎玉県で発生した。大概は二十才前后の若者だったが、その中のリーダー格の女性は、幼い2人子供の母亲で、34才の女性だった。彼女の遗书には「ごめんね、お母さん死んじゃうけど、あなたたちを生んでうれしかった」という言叶が遗されていた。

  まったくこの母亲の気持は、理解できない。これを読む、わが子の気持を考えて书いているとも思えない。可爱い盛りの幼いわが子を置き去りし、「死にたい」という思いを持って集まった他人と死んでゆく、彼女の行为は、死に行くものをむち打つつもりはないが、余りにも无责任で、怒りさえ込み上げてくる。この自杀は、まさに「アノミー」(神をも畏れぬ非道徳的行为)な、自杀であったと断ぜざるを得ない。

  それにしてもこの女性の中でどんなきっかけがあって、自杀という「死への冲动」が忍び寄り、やがてそれが强烈な愿望とまで膨れあがって、决行に至ったのか、その心の动きの过程を解明したいものである。本来女性には、「母性」という本能が、生得的に备わっていると言われる。そしてこの母性は、広く动物一般が生まれ付いて持っている本能である。その本能を上回る死の诱惑というものは存在するのであろうか。

  通常、母性という本能は、自分の子を出产するとより强くなるものである。交通事故などで、瞬间的に子供をかばって、母亲が轹死(れきし)するという话はよく闻く。でも最近では、母性というものが、どうも危机を迎えているようにも思えてならない。最近では、自分がお腹を痛めて生んだわが子を虐待したりする女性も新闻を赈わすようになった。自杀という行为の前には、こうした母性のような本能そのものが、アノミー的になってしまった现代人の精神病理が背景にあるのではないだろうか。
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yukihila
2008-12-21 · TA获得超过6553个赞
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NHK「にんげん広场21いのち」より
どうして自杀をやめないのか 11人の若者の证言

「若い世代から、『生きている実感がない』という声を多く闻きます。子供に対する虐待、1年间で3万件を超える自杀、后を绝たない少年犯罪など、命の実感を持つことが难しい社会で、生きているのかもしれません」

平成13年3月24日、NHKで放送された「にんげん広场21いのち」の冒头で、番组の司会者は、こう切り出しました。スタジオには、様々な立场の人が集まり、「いのちの重さを実感できますか」をテーマに、讨论を展开しました。

しかし、一时间余りの放送の中に、纳得できる解答は示されず、苦悩する若者の実态だけが浮き雕りにされたように思います。番组出演者の発言と、NHKがインターネットで募集した中から赤裸々な证言の数々を绍介します。

■T氏 28(テレビにて)

仆の场合、激しいいじめとかではなく、小学校から高校にかけて、じわじわと精神的にダメージを受けていきました。クラスメートの中にいても违和感があり、溶け込めず、孤独を感じていたんです。大势の中で感じる孤独は、独りぼっちでいる孤独よりもつらくて、高校2年の时、ひきこもりを选択しました。

日本にいる、80万人のひきこもりの若者は、「生きる意味が见つからない」とか、「自分の存在価値が分からない」と言っています。ハッキリ言って命の実感はないし、生きる意味とか、教えてほしいですよ。オレ、このままなら死にますよ。放っておけば、本当に。
自杀についての考察hirogenome1993さん

自杀についての考察

自杀は许されるのか?
この知恵袋でもいろんな意见が交わされています。
基本的には"自杀イクナイ"という论が大多数を占めているように见受けられるのですが、
私の个人的意见としては自杀自体が良くないのではなく、自杀后の事后処理を含めた周囲に対する迷惑行为が问题だと思います。

そこで自杀を法的に条件付の上で许可制にすればいいと思うのですが、どうでしょうか。

例えば、
・申请制にして突発的な自杀を防ぐ。(届けを出してから6ヶ月后に実行可能。その间気が変わったら申请を取り下げられるが、申请を取り消してから2年间は自杀申请できない)
・自杀料金(または税金)を支払う。(民间でも公的机関でも良いので処理业者を作り、自杀后の死体処理から縁者等がいない场合の葬仪费用など必要経费を自分の遗产から贿う)
・申请せずに自杀した场合は刑事罚とする。(ニュース等でも自杀者を拥护するような报道だが、自杀は悪と断定し、犯人扱いの报道をする。本人に遗产があれば罚金として徴収する。)

幸い身近で自杀の现场に立ち会った事は无いのですが、自杀と闻くたびに迷惑な话だと思います。
いじめられたとか、生きているのに疲れたとか、はっきり言って本人は死んで満足でしょうが、后始末・巻き込まれる方はいい迷惑です。
自杀対策基本法の施行(平成18年10月28日)

近年、年间3万人を超える方が自杀で亡くなられていることは、诚に痛ましい事态であり、深刻に受け止める必要があります。
自杀は、个人的な问题としてのみとらえるべきものではなく、その背景に様々な社会的要因があることを踏まえ、総合的な対策を早急に确立すべき时期にあります。
政府においては、これまでも各省庁において自杀予防対策に取り组んできたところでありますが、今后は自杀対策基本法に基づき、自杀の防止及び自杀者の亲族等への支援の充実等を図るなど、自杀対策の総合的な推进を図っていきます。
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