跪求一篇日语专业有关的论文!【会追加分】 10
中文日文都不限,打印或是扫描的也无所谓,只要是和日本有关的题材就可以,如文化,社会,心理,作家作品等等,只要题目具体一些不要太大就可以。如【关于日本文化】,这样的题目就太...
中文日文都不限,打印或是扫描的也无所谓,只要是和日本有关的题材就可以,如文化,社会,心理,作家作品等等,只要题目具体一些不要太大就可以。如【关于日本文化】,这样的题目就太大了
希望好心人帮帮忙,若采用的话最后还会追加分,加到亲满意! 展开
希望好心人帮帮忙,若采用的话最后还会追加分,加到亲满意! 展开
1个回答
展开全部
日本のアニメ文化について
1.きちんとしてること
漫画やアニメが日本に広まってから随分になる。いまやドラえもん
やポケモンは世界中で受け入れられ、日本のポップカルチャーの代
表作にまでなった。商业志だけでなく、アマチュア志の祭典である
コミックマーケットも盛ん。
プロとアマの差とは何に现れるのだろうかといえば、一义的にはそ
の作品が商売になること。そのための必要条件として、作品のレベ
ルが一定水准以上あること。
商売になるということは、有る程度売れることが条件になるから、
市场に受け入れられるものでなくちゃならない。そのためには一定
数以上の人に买ってもらえるものでないといけないし、読むに耐え
る最低限のレベルは必要になる。
だからプロの作品には一定以上の水准があるものの、内容も当たり
障りのないものになりがち。ぶっとんだものはなかなか世に出せな
い。たとえ作者が出したいと思っていても。
これがアマチュアの世界になると结构自由。オタク的になるに従っ
て、兴味范囲の指向性がどんどん高くなって、専门性も高くなる。
だんだん周りはついていけなくなるけれど、商売関系なしだから、
ネタの豊富さや深さ、発想のバラエティさなどは制约されない。そ
の代わり広く世には普及しにくい。
だけど、読むに耐える最低限のレベルっていうのも结构重要な要素
。これがどこまであるかで市场にだせるかどうかの指标になる。
岛本和彦の漫画で、世の映画がつまらなかったから、アマチュア映
画祭の応援団长を引き受けて、延々とアマ映画を见た挙句、プロの
良さを再认识するという话があった。
主人公の漫画家、炎尾燃の台词が印象深い。
「ああ・・・いいなあ・・・内容なんて・・・なくても、全然OK
だ。きちんとした构図で・・・きちんとしたタイミングで・・・き
ちんと声が闻こえて・・・きちんとピントがあってるだけでこんな
に愈やされるなんて、びっくりだ!!」
岛本和彦の言叶を借りれば、きちんとしてるということは、それだ
けで「ありがとう」ということ。
2.アマの土壌とプロの作物
世にだせる为の壁というか最低水准というものは确かにあるんだけ
れど、この水准は、市场动向や対象市场でいくらでも変动するもの
。
もし、プロ作家にパトロンがいて、何でも好きなものを描いても世
に広く送り出せるとしたら、どんな作品をだすのだろうかと考える
と、伦理上の问题を别とすれば、多分描きたいものを描くだろう。
制约がないから、好きなことができる、発想の次元ではプロとアマ
の垣根がなくなる。
アマの最大の利点は、自由なこと。いくらでも基本パタンを外して
しまえる。プロは最低限の基本は外さないし、外せない。読者を意
识しないといけないから。
昔、料理の鉄人という番组があったけれど、鉄人道场六三郎が素人
と対决した后、いつもこんなコメントを残していたことを覚えてい
る。
「プロなら相手が何をやってくるか大体判りますが、素人さんは何
をやってくるか判らないですからね。。」
基本は守るプロと、简単に基本を外せる自由を持つアマの违いがこ
のコメントに表れている。
だけど、いくら基本でも延々と缲り返したり、知れ渡ったりすれば
、やがて饱きられるもの。
准主役とか脇役キャラが唐突に主役に络んで、昔话をしたりするシ
ーンとかになると、すかさず死亡フラグキター、なんて掲示板に书
き込まれたり。
新しいパタンはアマチュアから起こる可能性が高いし、起こってい
るから、アマの世界がまったくないとプロの世界自体が缩小してし
まう危険すらある。
イメージとしては、アマチュアの土壌にプロの作物が育つ感じ。ア
マチュア同人志からスタートして、プロデビューを果たした作家は
沢山いる。アマの土壌がプロの作物を育てている面があることは否
定できない。
3.コミケは谁のものか
コミックマーケット、通称コミケは、夏と冬の年2回行われる日本
最大规模の同人志即売会。昔は晴海でやっていたんだけど、规模が
大きくなりすぎて人员収容の问题が出てきて、今は有明の东京ビッ
クサイトで行われている。
コミケの参加者は自分で作った作品を売ったりもするけれど、お目
当てのブースでお気に入りの作品を手にいれる楽しみもある。互い
に売ったり、买ったり。交流の场。
开催期间は全国から物凄く人があつまる。のべにして、40万人か
ら多い时では50万人を超えるという。
ここまで集まると当然経済効果が生まれてくる、下手な花火大会な
んかより全然凄い。
1994年におきた幕张コミケ追放事件では、大量のキャンセルを
出した影响で、周辺の宿泊施设や饮食店に甚大な被害がでたという
。
同人志市场であっても规模が拡大すると、描きたいものを描いても
それを喜んでくれる人が出てくる。商売を抜きにした、一种の特殊
市场が成立してくる。
プロもそこに颜をだし、自分が本当に书きたいものを描いてくるよ
うになる。昔はコミケで名を売って、出版社の目にとまりプロデビ
ューという流れがあったけれど、今は逆にプロが同人志を出す逆の
流れもあるという。「プロ同人作家」という言叶もあるくらい。
こういう市场では、金とか利益とかなんて、もはや二义的なもの。
自分が描きたいものを描いて、それを喜ぶ人がいて。喜ぶ侧の人も
その作品に触発されて自分で同人志を出すようになったりする。创
作活动と购买活动が连锁的かつ双方向的になっている。能动的购买
活动になってゆく。
能动的购买活动は自分が购买者であると同时に、発信者として相手
に何らかの影响をあたえる。ファンから次回作を期待される、顽张
る、また喜ばれる、そんな循环。布施の商品の市场。
コミケはそんなニーズから発生した必然の场なのかもしれない。
だけど、作品が世の中に受け入れられるに従って、作品は个人のも
のから、社会のものへ、ひいては国や世界全体の共有财产になって
ゆくもの。
一定以上のレベルの作品になると当然市场が発生するわけだから、
商売が络んでくる。どんなに素晴らしい作品でも个人だけでは世の
中に普及させるのはとても时间がかかる。
今のように时代の流れが早い社会だと、すぐに埋もれてしまって流
されてしまう。やがて再评価される场合だってあるけれど、忘れら
れてしまう可能性のほうがうんとある。その意味で、商业主义はま
ったくの悪だというわけじゃない。
储かりそうだから、広く売って利益をあげるものと、世の中の共有
财产だから広く世の中にいきわたってゆくものとは、分けて考える
べき。
つきつめていくと、芸术や文化って谁のものか、という问いになる
。
他国にも影响を与えるほどの文化や芸术作品は、国家戦略兵器とし
て使える、と考える人はソフトパワー论に従って戦略的に使おうと
する。作家本人の意図に関わらず。
とどのつまり、昔から言われていることだけど、芸术は何に奉仕す
るのかという命题に突き当たる。
4.文化芸术が世の中に奉仕するとき
作家本人は、自分が表现したいものを描きたい。だけど作品を売っ
て、食べていかなくちゃならないから、出版社の意向に沿うように
なるのは仕方がないこと。出版方针には逆らえないし、编集者のい
うことも闻かなくちゃいけない时もある。それが嫌ならパトロンを
见つけるか、别のバイトをして食いつなぐしかない。
だけど、本人の意図を超えて、作品が世界に広がるときがある。そ
こまでいくと作品は本人の手を离れ、世界に奉仕する芸术になる。
多分それは、芸术を知らない人にも芸术と判るほどの芸术。天才は
その分野に精通するしないに関わらず、それと分かるもの。
サッカーで、东京ヴェルディの名波と浦和レッズの小野を比较して
述べた有名な言叶がある。
「名波のプレーを见ると、少しでもサッカーを知っている人间なら
彼が天才だと分かるんだよ。でもな、伸二のプレーを见るとサッカ
ーを知らない人间でも彼が天才だと分かるんだよ。」
普通、芸术作品を世にだすとき、その作品の対象とする市场は芸术
の分野。でも天才はその领域を超えて芸术以外にも影响を与えてい
く。
文化芸术そのものには意図はなく、理解され、受け入れられるとき
には自然に受けいれられ、広がってゆく。
スタートには、プロもアマもない。それにただ、商売が络んだとき
からプロとアマの区别が始まる。
プロは有る程度市场に受け入れられなくてはならないから、あんま
りマニアックなのは作れない。アマはそんな制约はないから、自由
な表现が可能。その表现の土壌がプロを支え、新しい発想を生む。
プロにしろアマにしろ、本人の手を离れてしまう程の作品をどれだ
け生み出せるか、そしてその総体が国の文化力なのだと思う。
1.きちんとしてること
漫画やアニメが日本に広まってから随分になる。いまやドラえもん
やポケモンは世界中で受け入れられ、日本のポップカルチャーの代
表作にまでなった。商业志だけでなく、アマチュア志の祭典である
コミックマーケットも盛ん。
プロとアマの差とは何に现れるのだろうかといえば、一义的にはそ
の作品が商売になること。そのための必要条件として、作品のレベ
ルが一定水准以上あること。
商売になるということは、有る程度売れることが条件になるから、
市场に受け入れられるものでなくちゃならない。そのためには一定
数以上の人に买ってもらえるものでないといけないし、読むに耐え
る最低限のレベルは必要になる。
だからプロの作品には一定以上の水准があるものの、内容も当たり
障りのないものになりがち。ぶっとんだものはなかなか世に出せな
い。たとえ作者が出したいと思っていても。
これがアマチュアの世界になると结构自由。オタク的になるに従っ
て、兴味范囲の指向性がどんどん高くなって、専门性も高くなる。
だんだん周りはついていけなくなるけれど、商売関系なしだから、
ネタの豊富さや深さ、発想のバラエティさなどは制约されない。そ
の代わり広く世には普及しにくい。
だけど、読むに耐える最低限のレベルっていうのも结构重要な要素
。これがどこまであるかで市场にだせるかどうかの指标になる。
岛本和彦の漫画で、世の映画がつまらなかったから、アマチュア映
画祭の応援団长を引き受けて、延々とアマ映画を见た挙句、プロの
良さを再认识するという话があった。
主人公の漫画家、炎尾燃の台词が印象深い。
「ああ・・・いいなあ・・・内容なんて・・・なくても、全然OK
だ。きちんとした构図で・・・きちんとしたタイミングで・・・き
ちんと声が闻こえて・・・きちんとピントがあってるだけでこんな
に愈やされるなんて、びっくりだ!!」
岛本和彦の言叶を借りれば、きちんとしてるということは、それだ
けで「ありがとう」ということ。
2.アマの土壌とプロの作物
世にだせる为の壁というか最低水准というものは确かにあるんだけ
れど、この水准は、市场动向や対象市场でいくらでも変动するもの
。
もし、プロ作家にパトロンがいて、何でも好きなものを描いても世
に広く送り出せるとしたら、どんな作品をだすのだろうかと考える
と、伦理上の问题を别とすれば、多分描きたいものを描くだろう。
制约がないから、好きなことができる、発想の次元ではプロとアマ
の垣根がなくなる。
アマの最大の利点は、自由なこと。いくらでも基本パタンを外して
しまえる。プロは最低限の基本は外さないし、外せない。読者を意
识しないといけないから。
昔、料理の鉄人という番组があったけれど、鉄人道场六三郎が素人
と対决した后、いつもこんなコメントを残していたことを覚えてい
る。
「プロなら相手が何をやってくるか大体判りますが、素人さんは何
をやってくるか判らないですからね。。」
基本は守るプロと、简単に基本を外せる自由を持つアマの违いがこ
のコメントに表れている。
だけど、いくら基本でも延々と缲り返したり、知れ渡ったりすれば
、やがて饱きられるもの。
准主役とか脇役キャラが唐突に主役に络んで、昔话をしたりするシ
ーンとかになると、すかさず死亡フラグキター、なんて掲示板に书
き込まれたり。
新しいパタンはアマチュアから起こる可能性が高いし、起こってい
るから、アマの世界がまったくないとプロの世界自体が缩小してし
まう危険すらある。
イメージとしては、アマチュアの土壌にプロの作物が育つ感じ。ア
マチュア同人志からスタートして、プロデビューを果たした作家は
沢山いる。アマの土壌がプロの作物を育てている面があることは否
定できない。
3.コミケは谁のものか
コミックマーケット、通称コミケは、夏と冬の年2回行われる日本
最大规模の同人志即売会。昔は晴海でやっていたんだけど、规模が
大きくなりすぎて人员収容の问题が出てきて、今は有明の东京ビッ
クサイトで行われている。
コミケの参加者は自分で作った作品を売ったりもするけれど、お目
当てのブースでお気に入りの作品を手にいれる楽しみもある。互い
に売ったり、买ったり。交流の场。
开催期间は全国から物凄く人があつまる。のべにして、40万人か
ら多い时では50万人を超えるという。
ここまで集まると当然経済効果が生まれてくる、下手な花火大会な
んかより全然凄い。
1994年におきた幕张コミケ追放事件では、大量のキャンセルを
出した影响で、周辺の宿泊施设や饮食店に甚大な被害がでたという
。
同人志市场であっても规模が拡大すると、描きたいものを描いても
それを喜んでくれる人が出てくる。商売を抜きにした、一种の特殊
市场が成立してくる。
プロもそこに颜をだし、自分が本当に书きたいものを描いてくるよ
うになる。昔はコミケで名を売って、出版社の目にとまりプロデビ
ューという流れがあったけれど、今は逆にプロが同人志を出す逆の
流れもあるという。「プロ同人作家」という言叶もあるくらい。
こういう市场では、金とか利益とかなんて、もはや二义的なもの。
自分が描きたいものを描いて、それを喜ぶ人がいて。喜ぶ侧の人も
その作品に触発されて自分で同人志を出すようになったりする。创
作活动と购买活动が连锁的かつ双方向的になっている。能动的购买
活动になってゆく。
能动的购买活动は自分が购买者であると同时に、発信者として相手
に何らかの影响をあたえる。ファンから次回作を期待される、顽张
る、また喜ばれる、そんな循环。布施の商品の市场。
コミケはそんなニーズから発生した必然の场なのかもしれない。
だけど、作品が世の中に受け入れられるに従って、作品は个人のも
のから、社会のものへ、ひいては国や世界全体の共有财产になって
ゆくもの。
一定以上のレベルの作品になると当然市场が発生するわけだから、
商売が络んでくる。どんなに素晴らしい作品でも个人だけでは世の
中に普及させるのはとても时间がかかる。
今のように时代の流れが早い社会だと、すぐに埋もれてしまって流
されてしまう。やがて再评価される场合だってあるけれど、忘れら
れてしまう可能性のほうがうんとある。その意味で、商业主义はま
ったくの悪だというわけじゃない。
储かりそうだから、広く売って利益をあげるものと、世の中の共有
财产だから広く世の中にいきわたってゆくものとは、分けて考える
べき。
つきつめていくと、芸术や文化って谁のものか、という问いになる
。
他国にも影响を与えるほどの文化や芸术作品は、国家戦略兵器とし
て使える、と考える人はソフトパワー论に従って戦略的に使おうと
する。作家本人の意図に関わらず。
とどのつまり、昔から言われていることだけど、芸术は何に奉仕す
るのかという命题に突き当たる。
4.文化芸术が世の中に奉仕するとき
作家本人は、自分が表现したいものを描きたい。だけど作品を売っ
て、食べていかなくちゃならないから、出版社の意向に沿うように
なるのは仕方がないこと。出版方针には逆らえないし、编集者のい
うことも闻かなくちゃいけない时もある。それが嫌ならパトロンを
见つけるか、别のバイトをして食いつなぐしかない。
だけど、本人の意図を超えて、作品が世界に広がるときがある。そ
こまでいくと作品は本人の手を离れ、世界に奉仕する芸术になる。
多分それは、芸术を知らない人にも芸术と判るほどの芸术。天才は
その分野に精通するしないに関わらず、それと分かるもの。
サッカーで、东京ヴェルディの名波と浦和レッズの小野を比较して
述べた有名な言叶がある。
「名波のプレーを见ると、少しでもサッカーを知っている人间なら
彼が天才だと分かるんだよ。でもな、伸二のプレーを见るとサッカ
ーを知らない人间でも彼が天才だと分かるんだよ。」
普通、芸术作品を世にだすとき、その作品の対象とする市场は芸术
の分野。でも天才はその领域を超えて芸术以外にも影响を与えてい
く。
文化芸术そのものには意図はなく、理解され、受け入れられるとき
には自然に受けいれられ、広がってゆく。
スタートには、プロもアマもない。それにただ、商売が络んだとき
からプロとアマの区别が始まる。
プロは有る程度市场に受け入れられなくてはならないから、あんま
りマニアックなのは作れない。アマはそんな制约はないから、自由
な表现が可能。その表现の土壌がプロを支え、新しい発想を生む。
プロにしろアマにしろ、本人の手を离れてしまう程の作品をどれだ
け生み出せるか、そしてその総体が国の文化力なのだと思う。
已赞过
已踩过<
评论
收起
你对这个回答的评价是?
推荐律师服务:
若未解决您的问题,请您详细描述您的问题,通过百度律临进行免费专业咨询