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云哥0426
2014-07-10 · 超过46用户采纳过TA的回答
知道答主
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回答人的补充 2009-10-07 22:51 漢字と中国文化 いま日本ではカタカナ文化が氾濫していますが、これはいわば第二次の外来文化であって、第一次の外来文化は古代朝鮮を経由したか、あるいは直接に日本に渡ってきた中国文化でしょう。 早い話が毎日飲むお茶も中国が原産です。 中国南方では「茶」を「テ」と発音します。 これが南まわりでヨーロッパにいって「ティー」となったと勉強しました。 また、中国の北方では「チャ」と発音します。 これが北からロシアや中央アジアに渡り「チャイ」となりました。 そして日本はそのまま「チャ」「茶」になりました。 食品で「胡」がつくのは西域から中国を経由して日本に入って来たものです。 「胡椒」「胡麻」「胡瓜」などは皆そうです。 また、草花の名前で中国伝来のものは非常に多くあります。 桃、栗、柿、梅などはいうにおよばず、百日紅、合歓などもそのまま同じ文字です。 目で見、手でさわれるものだけではない、精神の世界でも中国の文化は日本に大きな影響を与えていると思います。 「論語」「老子」「史記」など中国の古典の影響は大きなものがあると思います。 日本の元号の「平成」も史記のなかの五帝本紀に「内平らにして天成る」を参考にして作られたと聞いています。 中国の古典から出て、いまは日常語になっているものも沢山あるようです。 例えば「自己啓発」の「啓発」は「論語」の「啓せずんば発せず」をちぢめたものです。 「完璧」や「四面楚歌」は「史紀」に出て来ます。 習慣のなかにも中国伝来のものは少なくありません。 「端午の節句」七夕、立春、冬至等々沢山あります。 漢字は日本のカナと違い文字自身一つの完成された文化ではないでしょうか。 一字一字の意味があり、その成り立ちにも理屈があります。 男と言う字は田の中で力一杯働く姿を表したものであり、「嫋」と言う字は弱々しそうな女が美しく見えるようを表現しています。 水の中で弱ってしまったのが「溺」で、日本人は更に弱る魚に鰯(いわし)という字を作ってあてました。 このように、その一字一字に物や現象の本質をとらえて作られたものが漢字であり、それ自身完成度の高い文化であると考えます。 中国人は漢字のもつ文化を非常に高く評価していると思います。 中国人は何千年の歴史の中で自分達こそが世界の文明の中心に位置しているという「中華思想」を、私は意識はしませんが、受けついで来ているのではないでしょうか。 中国を歴史的に見れは、塞外から攻め込んでくる蛮族に繰り返し統治を受けながらも、それらをことごとく同化していった文化の歴史があるだけに、近代に至ってもいかに武力的に強力な相手であろうとも、自分達よりすぐれた文化の持ち主であるとはなかなか認めようとしないのです 漢字文化とカナ文化 漢字の国とカナの国の違いを前に漢字は一字一字に意味があり、その成りたちにも理屈があり、漢字はそれ自身一つの完成した文化を意味すると書きましたが、こうした文字の文化が日本にやってきて思想を表現する道具として日本語化しました。 しかし、漢字が入って来る前から日本にはすでにヤマト言葉がありましたが、それを記録する字がなかったそうです。 日本人は新しく入って来た漢字を略字化して、あ、い、う、え、お、と言うカナを作り出しました。 「あ」は安、「う」は宇、「え」は衣、「お」於とルーツははっきりしていますが、それぞれの字に特別の意味はないそうです。 カナはヤマト言葉を表現するための字として利用され、かつ漢字を読む時の音標文字として使われるようになったそうです。 本来の漢字は、呉音も漢音もすべて今日の日本語の発音とは異なるものであったようですが、日本人はそれらの発音をすべて五十一字のなかにおさめてしまったのだそうです。 どうしてそういうことができたかというと、ヤマト言葉のあいうえおは、日本人の音標文字であって、それ自身に意味がなかったからです。 日本人は漢字を思想表現の道具として受け入れたけれども、それはヤマト言葉の素地の上に新しい表現が加わっただけのことであって、日本語が中国語に置き換えられた訳ではありません。 だから日本人が自分達の師を中国文化から西洋文化に乗り換えると日本語は英語でもドイツ語でもフランス語でも、ローマ字で表現される言葉を何の苦もなく取り入れる事が出来たのではないでしょうか。 たまたま、ひらがなのあとにカタカナが生まれ、新しい外来語はカタカナで表現されるようになったので、日本人はかつて漢字を自分達の新しい思想表現の道具として取り入れたように、新しい外来語を新しい思想や新しい生活感情を表現する道具として、何のためらいもなく取り入れるようになったのだと考えられます。 もともと音標文字にすぎないカタカナだから、どんな外国語もカタカナにあてはじめると日本語に変わってしまいました。 ただし日本語にない音をそのまま発音することは日本人には難しくて出来ません。 日本語で書き表わす事の出来ない、「T」とか、「L」とか、「R」とか、「Ⅴ」とかの音は、そのままでは日本語にならないので、日本語になった途端に本来の外国語とは似つかぬものにかわってしまいます。 私達が一番困るのがこのカタカナの外来語です。 特にカタカナとカタカナを日本語の接続詞でつないだ新しい日本語は、日本語を学ぶ外国人にとっては誠に難解な言葉です。 ただ歴史的に考えて見ると、日本語は漢字が入って来た大昔から、日本語は外来語を取り入れる事によって新しい言葉に次々と変化して来たのです。 ヤマト言葉がもともとそうした変化を可能とする構造の言葉だったようで、日本人のあらゆる事に対する対応のうまさにも繋がっているのではないかと思われます。 これに比べて漢字そのものは残念ながらそういう具合には出来ていません。 漢字の一字一字がすでに完成した意味をもっていて、しかも一つの音で成り立っていますので、変化の仕様がありません。 「ボー」、「ポー」、「モー」、「フォー」と言った音の分解はできますが、それを繋ぎ合わせて出来た文字を分解して別の意味に変える事は出来ません。 だから文字の一字一字を繋ぎ合わせて意味のある言葉にすることは出来ても、ローマ字やカタカナのような音標文字でありませんから、ドンドン語尾が変化して似ても似つかぬ言葉になってゆく事はありません。 従ってヨーロッパ諸国のように同じローマ字を使いながらドイツ語やフランス語や英語がお互いに通じない言葉に変わっていったのに対して、北京語と広東語や上海語は発音するとまるでチンプンカンプンの言語でありますが、字に書くと皆同じ字になるのは象形文字がそれ自体完成した構造になっていて、容易に壊す事の出来ない性質を持っているからでしょう。 またそれだからこそ、歴史上たびたびの分裂さわぎに見舞われながら、漢字があの大きな中国全体を統一へ戻す絆の役目をはたしたと見ることが出来ます。 漢字は象形文字であると同時に象徴文字でもあります。 例えば「貝」と言う字は貝殻の形が省略されて出来たものですが、貝殻をお金として使用した歴史があるので、お金を意味する「貨」と言う文字が出来ました。 もともと貝と言う字にはお金と言う意味がありますから、お金を集める才能は「財」であり、お金と玉器を家の中に集めた物は「寶」であると言った具合に、現象や動作や思想や物の本質を字そのもので象徴しているのです。 そう言った意味ではよく考えて作られた文字ではありますが、漢字が作られた当時の人智をこえる新しい事象を説明しようとすると、字そのものが不充分であろうと思われます。 その点カナは漢字及び漢字文化を取り入れることもできれば、ローマ字及びローマ字文化を何の抵抗もなしに受け入れることもできました。 中国人はローマ字文化の内容をいちいち漢字になおさないと、現象そのものすら理解できないところがありますが、日本人は漢字にカナをふって受け入れたように、ローマ字にカナをふって受け入れることがいとも簡単にできます。 とりわけ西洋文化を取り入れるにあたって制度だけではなく、それを表現する言葉にフリガナをして、そのまま取り入れることにほとんど何のためらいも感じないようです。 と言うわけで外国語の名詞と名詞を繋ぎ合わせるだけで新しい日本語になり、日本人同士で意思の伝達をするのに何の支障も感じないようになったようです。 もともとそういう具合に出来た言葉であり、また精神構造だから外国語文化にフリガナをすることによってあたらな文化を作ってゆくのが、日本文化であると言えるのかもしれません。
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