だろう和のだろう
だろう和のだろう的使用方式有何不同,接续和意思一样吗?我看到有的说法是:两者意思一样,这里的の只起强调的作用。这种说法对吗或者完整吗?同理だろうか和のだろうか、でしょうか...
だろう和のだろう的使用方式有何不同,接续和意思一样吗?
我看到有的说法是:两者意思一样,这里的の只起强调的作用。 这种说法对吗或者完整吗?
同理だろうか和のだろうか、でしょうか和のでしょうか的区别是否适用?
2.のではないでしょうか和ではないでしょうか有什么区别?
比如例句:避けたほうがいいのではないでしょうか,有的说法是:避けたほうがいい+の+ではない+でしょうか,の是形式体言。 这里的の仅仅起形式体言的作用吗?还有别的含义或作用吗?
求高手详解。 谢谢! 展开
我看到有的说法是:两者意思一样,这里的の只起强调的作用。 这种说法对吗或者完整吗?
同理だろうか和のだろうか、でしょうか和のでしょうか的区别是否适用?
2.のではないでしょうか和ではないでしょうか有什么区别?
比如例句:避けたほうがいいのではないでしょうか,有的说法是:避けたほうがいい+の+ではない+でしょうか,の是形式体言。 这里的の仅仅起形式体言的作用吗?还有别的含义或作用吗?
求高手详解。 谢谢! 展开
1个回答
展开全部
1、だろう和のだろう
这两个说法基本上是一样的,后者语气强烈些,它来自“简体句子的连体形+のです”(即“のだ”)这个句式,句型“のです”本身有表示强调解释说明的语义。所以同样“のだろう”也带有这种语感。同理“だろうか和のだろうか、でしょうか和のでしょうか”也是这样。(“でしょう”就是“だろう”的敬体)
2、のではないでしょうか和ではないでしょうか有什么区别?
这两者也是和上面一样,基本同义,“のではない”同样来自“のです”这个句式的否定表达。后面用了否定之否定:のではないでしょうか / のではないか 等(最后的“か”就是否定表达,所以否定之否定就等于没说,整个句式的意思是肯定的,即“难道不是这样吗?!” 就是“这样的”意思,但语气很强烈。如你举的例句直接意思就是“回避为好”,)加了“の”,你就应该从原来句式“のです”上来理解就可以了。基本意思是一样的,就是语感强烈些,带有了“强调,说明解释(用疑问句的话,即要求对方说明解释)”的语感,接续也和“のです”一样。
这两个说法基本上是一样的,后者语气强烈些,它来自“简体句子的连体形+のです”(即“のだ”)这个句式,句型“のです”本身有表示强调解释说明的语义。所以同样“のだろう”也带有这种语感。同理“だろうか和のだろうか、でしょうか和のでしょうか”也是这样。(“でしょう”就是“だろう”的敬体)
2、のではないでしょうか和ではないでしょうか有什么区别?
这两者也是和上面一样,基本同义,“のではない”同样来自“のです”这个句式的否定表达。后面用了否定之否定:のではないでしょうか / のではないか 等(最后的“か”就是否定表达,所以否定之否定就等于没说,整个句式的意思是肯定的,即“难道不是这样吗?!” 就是“这样的”意思,但语气很强烈。如你举的例句直接意思就是“回避为好”,)加了“の”,你就应该从原来句式“のです”上来理解就可以了。基本意思是一样的,就是语感强烈些,带有了“强调,说明解释(用疑问句的话,即要求对方说明解释)”的语感,接续也和“のです”一样。
推荐律师服务:
若未解决您的问题,请您详细描述您的问题,通过百度律临进行免费专业咨询