《永远同在》
填 词:觉和歌子
谱 曲:木村弓
歌曲原唱:木村弓
呼んでいる 胸のどこか奥で
内心深处的呼唤
いつも心踊る 梦を见たい
我想要走进悸动的梦中
悲しみは 数えきれないけれど
虽然悲伤会重演
その向こうできっと あなたに会える
但我一定能在某处与你相逢
缲り返すあやまちの そのたびひとは
人们总是不停犯错
ただ青い空の 青さを知る
他们只知道天是蓝的
果てしなく 道は続いて见えるけれど
虽然前路渺茫
この両手は 光を抱ける
但他们的双手仍在寻找光明
さよならのときの 静かな胸
离别时平静的心
ゼロになるからだが 耳をすませる
身体归于虚无时的倾听
生きている不思议 死んでいく不思议
莫名的生存,莫名的死去
花も风も街も みんなおなじ
花,风,城市都是如此
ラララ…
啦啦啦。。。
ホホホ…
哦哦哦。。。
フフフ…
呼呼呼。。。
呼んでいる 胸のどこか奥で
内心深处的呼唤
いつも何度でも 梦を描こう
让我们不停的画出梦的色彩
悲しみの数を 言い尽くすより
比起回忆的心中的悲伤
同じくちびるで そっとうたおう
不如用同样的唇轻声歌唱
闭じていく思い出の そのなかにいつも
即使在封锁的回忆中
忘れたくない ささやきを闻く
仍然还有无法忘记的呢喃
こなごなに砕かれた 镜の上にも
即使在粉碎的镜片中
新しい景色が 映される
仍然能映出新的景色
はじまりの朝 静かな窓
晨色初照下的宁静窗台
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
还有那化为虚无的身体
海の彼方には もう探さない
从此我不会越过大洋去寻找
辉くものは いつもここに
闪耀的所有都在身边
わたしのなかに 见つけられたから
我将自己去追寻
ラララ…
啦啦啦。。。
ホホホ…
哦哦哦。。。
フフフ…
呼呼呼。。。
扩展资料
《永远同在》此曲为《千与千寻》的结尾曲,而木村弓也因为主唱此曲而为中国观众所熟悉。
在《千与千寻》中,擅长民谣的木村弓以她对日本民族音乐的领悟,创作了堪称精华的片尾曲《永远同在》,歌曲主要可分为前后两大部分。
《永远同在》原有日文歌词。后由华南农业大学的三个在校大学生依照原曲稍作改动、作词、合作编订而成且可用汉语歌唱的歌曲,曲名取为《与你同在》。
参考资料来源:百度百科-《永远同在》
推荐于2017-11-29
作词:觉和歌子
主唱:木村 弓
yondeiru muneno dokoka okude
呼(よ)んでいる 胸(むね)のどこか奥(おく)で
呼唤着在心灵深处某个地方
itsumo kokoro odoru yume wo mitai
いつも心(こころ)踊(おど)る梦(ゆめ)を见(み)たい
总想保持着令人心动的梦想
kanashimi wa kazoe kirenai keredo
悲(かな)しみは 数(かぞ)えきれないけれど
悲伤 虽然无法数尽
sono mukoude kitto anataniaeru
その向(む)こうできっと あなたに会(あ)える
在它的对面一定能与你相遇
kurikaesu ayamachi no sonotabi hito wa
缲(く)り返(かえ)すあやまちの そのたびひとは
每次重蹈覆辙时 人总是
tada aoi sora no aosawo shiru
ただ青(あお)い空(そら)の 青(あお)さを知(し)る
仅仅知道碧空蓝色
hateshinaku michiwatsuzuite mieru keredo
果(は)てしなく 道(みち)は続(つづ)いて见(み)えるけれど
虽然永无止境的道路看起来总在延续
kono ryoute wa hikariwo idakeru
この両手(りょうて)は 光(ひかり)を抱(い)だける
这双手一定可以拥抱光明sayonara no tokino shizukanamune
さよならのときの 静(しず)かな胸(むね)
别离时平静的胸怀
zeroni narukaradaga mimiwo sumaseru
ゼロになるからだが 耳(みみ)をすませる
虽然从零开始 仍要侧子耳倾听
ikiteiru fushigi shindeiku fushigi
生(い)きている不思议(ふしぎ) 死(し)んでいく不思议 (ふしぎ)
活着的不可思议 死去的不可思议
hana mo kaze mo machi mo minnaonaji
花(はな)も风(かぜ)も街(まち)も みんなおなじ
花,风,街道都一样
ホホホ…
ヌヌヌ…
ルルル…
yondeiru muneno dokoka okude
呼(よ)んでいる 胸(むね)のどこか奥(おく)で
呼唤着在心灵深处的某个地方
itsumo nando demo yumewo egakou
いつも何度(なんど)でも 梦(ゆめ)を描(えが)こう
不论何时不管多少次 去描绘梦想吧
kanashimi no kazuwo iitsuku suyori
悲(かな)しみの数(かず)を 言(い)い尽(つ)くすより
与其道尽悲伤的数目
onaji kuchibiru de sotto utaou
同(おな)じくちびるで そっとうたおう
不如用相同的双唇 轻轻的唱歌吧
tojiteiku omoideno sononakani itsumo
闭(と)じていく思(おも)い出(で)の そのなかにいつも
走向尘封的回忆中 在那之中总是
wasuretakunai sasayakiwo kiku
忘(わす)れたくない ささやきを闻(き)く
听得到不愿忘记的细语
kona gonani kudakareta kagami no uenimo
こなごなに砕(くだ)かれた 镜(かがみ)の上(うえ)にも
即使是在被粉碎的镜子上
atarashii keshiki ga utsusareru
新(あたら)しい景色(けしき)が 映(うつ)される
也会映出崭新的景色
hajimari no asa(no) shizukana mado
はじまりの朝(あさ) の静(しず)かな窓(まど)
开始的清晨那宁静的窗口
zeroni narukarada mitasarete yuke
ゼロになるからだ 充(み)たされてゆけ
因为将从零开始 所以会被渐渐充实
umi no kanatani wa mou sagasanai
海(うみ)の彼方(かなた)には もう探(さが)さない
不再追寻 大海的彼端
kagayaku monowa itsumo kokoni
辉(かがや)くものは いつもここに
因为那闪光的东西一直就在这里
watashi no nakani mitsukeraretakara
わたしのなかに 见(み)つけられたから
在我心中被发现了ラララ…
ラララ…
ホホホ…
ヌヌヌ…
ルルル…
2014-02-23